『未だ定まらず』

演劇集団円の新作は、前田司郎の作・演出の『未だ定まらず』。
浅草田原町のステージ円は、1階がスーパーのビルの5階にあり、今度が初めてだったが、かなり広い。
以前は、北新宿の成子坂にあったが、そこは随分狭いところだった。
「これだけの広さの拠点を浅草とは言え都内の交通至便な場所に持つのは、経済的に大変だろうな」などと関係ないことを考えてしまう。

劇が始まると、女性の服を着た老人野村昇史と中年の男田原正治が、二人で食事している。
老人は、「近年の減塩が不快だ」などとわがままを言っているが、ともかく食事は終わる。
と、田原は、野村が履いている靴下を脱がせ、足に接吻する。
ここから二人は、ご主人様と召使らしいが、それ以上のただならぬ関係であることが分かる。

全体の人間関係や背後の構造は、よく分からないところもあるが、どうやら野村の妻シャルルは、キャバレー「銀の城」の女王様で、田原は彼女の賛美者、奴隷のように使えていたらしい。彼は、小心な男だが、異常に繊細で、嫉妬深く、またおっちょこちょいな人間である。
だが、彼女は死に、今は野村が彼女の代わりに、なぜかシャルルになり、田原の幻想と欲望を満たしている。
この二人の関係は、言ってみれば、つかこうへいの『蒲田行進曲』の銀ちゃんとヤスに象徴される「サド・マゾ関係」であり、他にも多くの作品もある。

だが、この劇がユニークなところは、田原が自分の家庭に戻り、自分が「実はマゾヒストなんだ!」と妻と息子の前で告白するシーンがあるところである。
妻は「いったい何だったの!」と衝撃を受け
息子は「俺には全く理解できない」と言う。
それに対して田原は言う、
「自分をなくしてしまいたいんだ!」
と三島由紀夫的に言えば、自分のひりつくような異常な欲望を説明する。
だが、二人には全く理解できず、田原は一人で、家を出て行くことになる。

この告白の持つ憧れるものへの熱い思いは、本質的に言えば、吉本隆明が言う「個人幻想と対幻想」の根本的対立である。
そして、少しでも「個人幻想」に思い入れてしまった人間は、家庭と本質的に対立する存在となってしまうのである。
その他にも、野村の義理の孫夫婦の台詞からも、野村と田原の関係の異常さが明かされる。

他にも、性転換手術をする外科医と、元は男で、手術によって女になった助手の異様なコンビと、野村のやり取りも、一種ブラック・ユーモアで面白かった。
最後、当初は嫌がっていた性転換手術を野村が受け入れ、手術室に野村と田原が嬉々として向かって行くところで終わる。

前田司郎は、以前新国立劇場で三島由紀夫の『綾の鼓』を十朱幸代主演で演出し、意外にも良い出来だったが、これもなかなか面白かった。
ステージ円

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