『紀ノ川』

和歌山の紀ノ川沿いの旧家真谷家の三代に渡る女性を描くもので、原作有吉佐和子、監督は中村登である。
明治20年代、紀ノ川上流の紀本家から司葉子の花が、嫁入りしてくる。
何隻もの船に嫁入りの荷物を積んでのものであった。
真谷家の当主は田村高広で、彼は県会議員から国会議員にまでなる。
義母は東山千栄子。
真谷家は、海草郡のほとんどの土地と山林を所有するほどの大地主であった。

花は、息子(中野誠也)と女の子を産む。その女が岩下志麻の文緒である。
文緒は、男勝りの女性で、中学校ではストライキを起こし、司葉子らを古いと批判する。
東京の大学に行き、東大出の銀行員と結婚する。

時代は、昭和の戦争になり、岩下夫婦は、上海、ジャワへと転勤し、そこで娘の華ができる。
この華が、作者有吉佐和子に当る。
華は、これがデビュー作の有川由紀で、十朱幸代に似た感じで、松竹ではかなり期待されたらしいが、大成しない内に斉藤耕一と結婚して引退した。
家と体制に反抗した岩下とは逆に、有川由紀は家や古い制度に従順で、この辺も有吉佐和子自身の考えが反映されているはずだ。

最後、戦後の農地解放で土地を失うと、司は家代々の財宝等をすべて売り払って処分してしまう。
自分のやりたいようにしたのだ、と安楽に司葉子は死ぬが、紀ノ川はとうとうと流れている。

女性三代に渡る年代記ものだが、ここで有吉佐和子は、「家は実は男ではなく、女が繋ぎ、継承しているものだ」と言っているように見える。
そして、歴史的に見れば、古代の母系制の時代から、日本では女性が実は非常に強かったのであり、男尊女卑など、明治以降のことに過ぎない。
音楽は、中村登映画が多い武満徹だが、あまり冴えていない。
それは、武満徹、そしてシエーンベルグに始まる現代音楽の本質は、不安にあるのだが、ここには不安が存在しないからである。
衛星劇場

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