『甲賀屋敷 第一部』

1949年に、大映と新演技座で作られた『甲賀屋敷』は、言うまでもなく吉川英治の『鳴門秘帖』であるが、主人公の長谷川一夫と山田五十鈴らが、江戸から阿波に旅立つところで終わっている。明らかに第二部を予期させる終わり方だが、結局第二部は作られなかった。
理由は分からないが、多分当らなかったからだろう。
衣笠の映画で、第二部を予定していたのに、やはり作られなかったものに、松本清張原作の時代劇『かげろう絵図』がある。この理由は、なんだったのか、昔どこかで読んだが忘れてしまった。確か主演の市川雷蔵のスケジュールが取れなくなった性だったと思うが。

そして、この映画の不思議なところは、長谷川一夫の劇団である新演技座となっているが、そのスタッフのほとんどが、東宝ストライキでクビになった左翼の連中であることである。
撮影の杉山公平以外、美術の平川透徹、録音の安恵重遠(藤原釜足の実弟)、音楽の須藤五郎と皆多分共産党員であり、須藤五郎にいたっては、1960年代には共産党の国会議員になった。

これは、何を意味しているのだろうか。
私の想像では、長谷川は、東宝のストに反対して新東宝に行くが、そこもすぐに辞め自分の新演技座で映画や芝居の興行をしたが、財政的に上手く行かなかった。
一方、東宝をクビになって失業しているスタッフをすぐにも救済するため、衣笠貞之助が、吉川英治の原作を使って急遽この映画を作った。
衣笠貞之助は、東宝のストライキでは、一貫して組合支持派であり、この方式は、この前のやはり長谷川一夫主演の『小判鮫』でもとられている。
衣笠貞之助については、102歳まで生きられたシナリオ・ライター犬塚稔によれば、その時代、風潮、時勢によって立場を変える「卑劣な男だ」そうだが、逆に見れば柔軟な芸術家と言うことになる。
なかなか興味深い人間である。
日本映画専門チャンネル

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