『寺山修司が愛した女優』 山田勝仁 河出書房新社

寺山修司が愛した女優と言えば、新高けい子のことである。
愛した女と言えば、九条映子や田中未知など沢山いるだろうが。
新高けい子が、ピンク映画女優だったのは有名だが、私は見ていないと思う。
ピンク映画も、その上映館ごとに映画会社が大体決まっていたので、特定の監督、会社に出ていると全く見ないと言ったこともあった。
新高は、新藤考衛監督とのコンビが多かったとのことだが、私は見た記憶がないが、寺山は本当によく見ていて、ファンだった。

青森に生まれたけい子は、偶然にも寺山と同じ県立青森高校を卒業して上京し、文化学園に入るが、生活難から(父親は教員で特に困窮していたわけではないが)、美人喫茶、アルサロ等で働くことになる。
そして、ラジオの文化放送が、宗教団体の運営からJOQRとして商業放送に転換するときのイベント・ミス文化放送に選ばれる。
このときの写真が掲載されているが、大変良いスタイルで、きれいである。昔のハリウッド女優と言う感じである。

一方、彼女は歌手、役者になろうとして、歌のレッスンを受け、アマチュアのグループで活動もする。
このとき、新東宝の沼田曜一との関係で、『海よおいらの歌に泣け』という作品にも出たとのこと。
そして、1960年代前半に猛威を振るっていたピンク映画の新藤監督に認められて出ることになり、そのスタイルと演技で大人気になる。

劇団を旗揚げした寺山から、そのヒロインとして請われて参加する。
天井桟敷入団以降の記述は、他にも類似本が多くあり、特に新しいものはない。
いかに寺山が、才能に溢れ、また天井桟敷を愛していたか、である。
寺山が急死し、劇団が解散した後、新高も女優をやめる。

現在は、カメラマンの男性と結婚し、幸福な生活をおくっているとのこと。
因みに、新高の本名は、工藤淋子(くどうたまこ)で、芸名の新高は、台湾の高山の新高山からつけたとのこと。

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コメント

  1. 弓子 より:

    わるいこは、いねぇが。
    は、ナマハゲのセリフですが

    寺山修司事務所に、いきなり
    ええこは、いねぇが。。
    と、開口一番にかかってくる電話があり
    寺山修司の母親が嫁の映子さんを呼び出し
    それが日課となっていて
    事務所の語りぐさとなっているそうです。

    寺山修司の子供時代のエピソードで
    友達が遊びに来ているのを見計らうように
    寺山を身も蓋も無い叱り方をしていたそうで
    子供からしたら たまらないことだったように思いました。

  2. 弓子 より:

    美人喫茶。
    指田様は、行かれたことありますか?

    むかし、渋谷の 「コンパル」 
        日本橋 「スターサファイア」
    というお店を通ったら、高身長、超美形の女性が
    ドアに立っていたのを見かけたことあります。
    当時の看板には、お店の名前の横に 
    「美人喫茶」ってついてた気が。。

    渋谷のお店では、エデイタウンゼント氏と、フジタケシ氏が
    出てくるところに出くわしました。

  3. 行ったことはありません。
    ただ、名前は忘れましたが銀座の外見が非常に凝った喫茶店に入ると、きれいな女性がいて、「これが美人喫茶か」と思ったことがあります。