『伝説の浅草オペラ』


ぐらもくらぶの5回目のイベントとして、浅草オペラをSPレコードで聞くイベントが行われた。
話は、小学生時代からエノケンや浅草オペラが好きだったという小針侑起さんと日本モダンガール協会(そんなものがあるの)の浅井カヨさん。
司会とレコード操作は、ぐらもくらぶの保利透さん。

『女軍出征』という劇で歌われた『チッペラリー』から、有名な『コロッケの唄』まで13曲。
浅草オペラについては、特に書かないが、大正末期に浅草で行われ、大人気となったオペレッタであり、ここから後のオペラ、歌謡曲、ボードビル、映画界等に多くのスターが出た。
エノケンが一番有名だが、映画の脇役で多数の作品に出た、私が大好きな明石潮(多分よく見られているのは若尾文子の『涙』の父親役だろう)も、実は浅草オペラの大スターだった高木徳子のところにいて、彼女の最後を看取った方なのである。
中では、佐々紅華作、河合澄子歌の『おてくさん』にイタリアの「フリクリ、フリクラ」のメロディが使われていた。
「随分早い時期の使用だな」と思い、イタリア音楽の専門家山岸伸一さんにお聞きすると、この『フニクリ、フニクラ』は、イタリア民謡ではなく、ベスビオス山に登山電車ができたときに、それを宣伝するために流行らせた、最古のCM曲だそうで、カルーソーのSPで、日本でも知られていたのだそうだ。
山岸さん、早速有難う。

浅草オペラの全盛期の大スターは、田谷力三で、彼は戦後も生きてテレビにも出ていたので、私も聞いたことがあった。
だが、田谷力三の唄は、正直に言って明らかに音が外れていて、「この人、音痴じゃないの」といつも思ったものだ。
今回、SP盤で『古城の鐘』の歌『舟唄』を聞き、とても上手いとは言えないが、歌い方には、一種異様な魅力があり、言ってみれば「悪魔的な声」で、女性の心を引き付けたの原因がよくわかった。

他の人の歌も、よく聴くと音程が外れているのではないか、と思えるものが多々あった。
終了後の交流会のとき、主催者の保利透さんにも、そのことを聞く。
「あるいは、現在はSPプレーヤーの回転数は78だが、戦前、大正時代のSP盤は、回転数がいい加減で、78ではなく、80回転、中には90回転等があるので、その分ピッチが狂っているのではないか」と聞いて見る。
すると保利さんからは、「今回もほとんど80回転にしているが、それでも外れているのは、当時の歌手のレベルはあんなものだったのではないか」とのお答えだった。

小針さんと浅井さんの話は、長年の研究の積み重ねが窺われ、また浅草オペラや大正時代についての愛情がわかるもので、大変面白かった。
レコードのみならず、当時のファン雑誌、ポストカード等も見せてくれた。
ポストカードとレコードを合わせて、現在のビデオのように筋がわかるようになっているものもあり、大変興味深かった。

当日、元横浜市の少し先輩で、外国文学や音楽にも詳しい竹内さんとお会いした。
10年ぶりくらいで、非常に驚いたが、彼はこのイベントの1回目には来て、その後は来なかったので、私とはすれ違いだったわけだ。
この会場の「落語カフェ」は、以前はソ連のレコードである「新世界レコード」等を売る店で、彼は良く来ていたことを思い出したと言われていた。
神保町落語カフェ

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