『サヨンの鐘』

1943年に李香蘭の主演で作られた作品で、彼女はここでは台湾の高地人・高砂族の少女に扮している。
実話だそうで、日本人の高砂族統治に積極的に協力し、増水した川で死に、それを悼んで鐘が造られた少女サヨンの話。
李香蘭と言えば、長谷川一夫との共演の大陸三部作が有名で、そこでは満州や中国に来た日本人に惚れる現地人を演じていた。
だが、ここにはそうした日本と被征服者との関係を男と女の関係に置き換えるアナロジーはない。
その意味では、清水宏の面目躍如と言う感じである。
清水は、非常にわがままで横暴な人だったらしいが、同時に子供好きの人間だったらしい。
要はきわめて幼児的な人間だったのだろう。
そうした人間に戦争も戦意高揚も関係がない。

戦意高揚映画としての露骨さがないのは清々しく、ほとんど風景映画である。
だが、一つだけ非常におかしいのは、全員がきちんと日本語を話していることで(一部の台湾人の役者の台詞は吹替えのようだが)、これはやはり大問題である。
多分、台湾での日本統治で第一に問題となったのは、言葉の問題であるはずで、そうした齟齬がどこにもないのはひどく変である。
もっとも、熊井啓監督の1980年の映画『天平の甍』でも、鑑真が堂々と日本語で仏典を講義するのだから、唖然としたものだが。
衛星劇場

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コメント

  1. umigame より:

    『サヨンの鐘』
    日本のかつての台湾統治にはいろいろと評価があると思われますが、一つ挙げておかなければならない重要な件は、イギリスのようなプランテーションの経営を行なわなかったことだと思います。基礎教育、法整備、民生の向上を政策として行い、その基盤として農業の振興を行なっています。日本語はその教育の基本として教えられたもので、黄文雄氏も言っていますが、台湾人の最初の共通言語は日本語であったということです。映画「サヨンの鐘」も、もちろん批判は多々あると思いますが、高砂族が日本語を話し、日本人に好感を持っている描きには嘘は無いと思います。映画の中に流れる古賀政男による主題歌は、台湾では戦後も長く愛唱されてきたことを、やはり黄氏が書いています。また私は戦後台湾に戦時賠償の一環として行なわれた技術指導で、台湾へ行った映画人から聞いたのですが、この人は台北の空港で国軍の表敬部隊に迎えられ、軍楽隊の「軍艦マーチ」の奏楽で歓迎されたそうです。こういったことをふまえてこの映画を観るとさらに違った深い意味合いを見て取れるのではないでしょうか。
    なおこの映画の高砂族の村の描き方、室内のカメラポジション、照明設計等は、黒澤明の「七人の侍」に大きな影響を与えていると私は思います。清水宏という監督もそういった創作能力の奥の深さを再認識する価値のある人だと思います。

  2. さすらい日乗 より:

    台湾では戦争していないからではないか
    私も、13年前に台湾に行きましたが、対日感情は良いように思えました。国立劇場で『三国志』を見たとき、冒頭に国歌斉唱があったのですが、起立した人は多くなく、「あれっ1」と思いました。
    対日感情の良さは、台湾では、日本は戦争をしていないことが一番大きいのではないか。実際の戦場にしてしまった韓国とは違うと思います。

    イギリスの植民地経営よりも、スペイン、ポルトガルの植民地支配の方が、現地の文化、人間に自由にやらせたので良かったのでは、という評価もあります。
    英国は、現地に英国人が行き、直接支配したが、スペイン、ポルトガルでは、所有者は本国にいたままで、言わば「不在地主」だったので、現地では比較的自由があり、それがポピュラー音楽においても多様性の違いになったという説もあります。