『ピアフ』

フランスの歌手エデット・ピアフの伝記ドラマである。
主演は、大竹しのぶで、今は彼女しか演じる女優がいないだろうと思われるすごさで演じる。
大竹しのぶのすごいところは、蜷川幸雄のような先進的な作品も、こうした通俗的な大衆的劇にも同じように演じられるところにある。
それは、かつて女優の山田五十鈴が、東宝、松竹等の商業的映画と左翼独立プロの作品に同時に出たことに似ている。

フランスの最下層に生まれたエデツトは、友達の梅沢昌代と同居し、街頭で歌っているが、半ば娼婦のような生活を送っている。
エデットの歌をかったナイトクラブ・オーナーの辻萬長によって劇場で唄えるようになるが、彼はエデットの不良仲間による強盗で、殺されてしまう。
だが、エデットは、スキャンダル歌手として逆に有名になる。
そこからは、成功と上昇物語だが、同時に自動車事故の痛みから逃れるために使った鎮痛剤の麻薬に、次第におかされて行く。
麻薬と酒との悪循環、またイブ・モンタンからシャルル・アズナブールに至る男遍歴も描かれる。
その中でも、彼女の歌は迫力をさらに増し、凄みは失わない。
最後、死の床で歌って終わる。
ここなど、車椅子に死人のように横たわっていた大竹しのぶが、堂々と起き上がって歌うのは、ブレヒト的に言えば、非リアリズムの極みだが、それを堂々と見せてしまうのは彼女の芸の力である。

私は、シャンソンはまともに聞いたこともないが、思うにエデット・ピアフは、スポンタニアスな歌手だと思う。
演技を「型」と「心」で演じる役者と同じように分類すれば、ピアフは、明らかに「心」で唄うタイプの歌手になる。
ロックで言えば、ブルース・スプリングスティーンやヴァン・モリソンが、そうしたタイプで、これに対象的なのが、型で唄うミック・ジャガーである。
多分、ミック・ジャガーは、いつも同じように歌い、動くことができる歌手だと思う。
だから、水谷八重子が70を越えても『金色夜叉』の処女のお宮を演じられたように、ミックは68歳の今でも、不良性を売り物にしたロック歌手でいられるのである。

この夜は、大竹しのぶが、紫綬褒章を受賞したとのことで、フィナーレでは、大いにはしゃいで見せた。
梅沢昌代は、いつもながら達者で、辻萬長は、最初のクラブ・オーナーで出て来てすぐに殺され、これで終わりはもったいないと思うと、二幕の医者でも出て来て、重厚な演技を見せる。
当然だが、ピアノ、アコーディオン、バイオリン等のバックがライブでついていたのは良い。
シアター・クリエ

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