『シリアの花嫁』

われわれ日本人には、なかなか想像できない事情の映画である。
シリアのゴラン高原は、1967年の第三次中東戦争によってイスラエルに占領されたままになっている。
このゴラン高原と言うのは、その名の通りの高原で、イスラエルを見下ろす軍事的に大変重要な位置にあり、イスラエルは絶対に返還せず、入植を進めている。
そこには、イスラム教徒ドゥールズ派の住民がいるが、逆にこの占領を認めないシリア政府によって住民は、「無国籍」になっている。

村の娘モナの結婚が行われようとしていて、相手は首都ダマスカスにいるテレビ俳優で、写真で決めたと言う。
まるで戦前の日本人移民間で行われ、アメリカ人社会で批難されたピクチャー・ブライド、写真花嫁だが、古い遺制が残っている社会なのだろう。

私事だが、私の両親も、結婚前に会ったのは、南武線の電車の中での「見合い」のみだったそうだ。
母親は「ちらっと見ただけなので、よく分からなかった」と、父親が、若い頃から頭の毛が薄く、大きく禿げ上がっていたことを知らなかったと言っていた。

所詮、結婚なんてそんなもので、長年付き合い、時にはセックスをしたところで、結局相手がよく理解できるものではない。
昔の松田聖子の台詞ではないが、「ピピット来た!」ときに結婚するしかないのである。
それは結局、結婚がその本質に動物的な行為を含んでいるからだろう。

さて、この結婚に今はバラバラになっている兄弟が集まって来る。
彼らの父親は、村の有力者で政治活動家でもあり、イスラエルによって投獄されて出てきたところ。
時あたかも、新大統領アサドを祝うデモ行進が行われている。彼らも、アサドもシリアの少数派に属するようだ。
村の長老は、父親に警告する、「ロシア人と結婚した長男と口をきいたら、我々は今後付き合いができなくなる」と。
この辺の宗教的組織の強さは私たちにはよく理解できない。
多分、国や地方の行政機構が未発達なアラブやアフリカでは、宗教組織が行政を代行しているからではないか。
レバノンやパレスチナのイスラム過激派のハマスも、教育、福祉活動をしており、住民から信頼されているそうだ。

さて、いろいろと紆余曲折はあるが、花嫁は何とか、境界を越えて男の下に行ける。
だが、これによって、彼女は二度と村には戻れないのだ。
衛星劇場

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