二谷英明と林光

俳優の二谷英明と作曲家の林光が死んだが、81と80歳だった。
二人は、日本映画黄金時代に活躍し膨大な作品を残しているが、二人が一緒のキャスト・スタッフになっているのには、調べると1958年の日活、鈴木清順監督の『影なき声』があった。
これは、松本清張の原作で、電話交換手の南田洋子が耳の良い女性で、犯人宍戸錠の声を記憶していることから追われるサスペンス映画で、なかなか面白かった。

二谷英明と言えば、何といっても石原裕次郎の敵役で、1957年の蔵原惟繕監督のデビュー作『俺は待ってるぜ』、さらに舛田利雄監督の1964年の『赤いハンカチ』になるのではないか。
良き相手役、敵役に恵まれた点では、裕次郎も幸福な役者だった。
近年、多くの日本映画を見て、中には良い作品もあるが、今の映画は、どれもその時だけの寄せ集めであり、決まった相手役、コンビのようなものがないのが、一番残念なところであろう。
『相棒』シリーズが数少ない例外だが、テレビからの移行とは寂しい。

林光の映画音楽では、抒情的なものが良い。
中でも、大映末期の1970年、増村保藏監督、勝新太郎主演の『ヤクザ絶唱』での卓上ピアノを使った抒情的な曲、あるいは松竹大船での吉田喜重監督、岡田茉莉子の『秋津温泉』の古典主義のような管弦楽曲も、やや大げさとも見えるが良かったと思う。
林光の映画音楽で、まず見られない映画がある。
1961年に新東宝倒産後の大宝で公開された、山際永三監督の『狂熱の果て』があり、これは今もプリントが行方不明で分からないのだそうだ。

林は、1970年代は、佐藤信らの「黒テント」の音楽もやっていて、「喜劇昭和の世界」シリーズ公演では、自ら現場でピアノも弾いた。
私が実際に見たのは、1975年の、有明埋立地でやった佐藤信の作・演出の『ブランキ殺し・上海の春』で、トラックの荷台の上で汚いアップライト・ピアノを弾いた。
黒のチャイナ・ドレス姿で現れ、一礼していきなり弾きだしたが、その音色がすごいのに驚いた。
彼は、作曲家としてはピアノが上手な部類に属する方だったらしいが、本当に上手いピアノだったが、芝居はつまらないものだったが。
日本映画に貢献された二人のご冥福をお祈りする。

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