桜井孝雄、死す

ボクサーの桜井孝雄が死んだ、70歳。
彼は、東京オリンピックのボクシング、バンタム級の日本代表で、優勝し金メダルを取った。
これが、日本のボクシングで、現在も唯一の金メダルであり、大変なボクサーだった。
プロに転向しても、負けたのは、チャンピオンのライオネル・ローズに僅差の判定負けと、黄金のバンタム・ルーベン・オリバレスにKO負けの2敗飲みの,32戦30勝2敗の大変立派な成績だった。
だが、アマチュア時代からのアウト・ボクシング・スタイルだったため、当時の日本は、根性と手数のラッシュ・スタイルが主流だったので人気が出ず、東洋タイトルを取るとすぐに引退してしまった。
彼のボクシングは、冷静なアウト・ボクシングだったが、その実像は違うように思う。

というのは、大学時代、私は授業でボクシングを取り、その時の教官の白鳥金丸先生から桜井のことを聞いていたからである。
白鳥さんは、当時アマチュアにしては珍しいハード・パンチャーで、金メダル確実と言われていて、一方桜井は全く期待されていなかった。
では、なぜ桜井は金メダルを取れて、白鳥さんは取れなかったのか。
白鳥さんに言わせれば、理由は二つあった。

一つは、外国人選手の態度の大きさ、悪行の酷さに驚き、圧倒されたことであり、もう一つは桜井孝雄が、試合の前日にいなくなってしまったことだという。
代々木の五輪選手村では、外人選手は我が物に闊歩し、酷い奴は選手村の野外の芝生の上で、セックスしまくっていたという。
当時、純情だった白鳥選手は、夜毎のフリー・セックス騒ぎに寝られず、睡眠不足になってしまった。
そこに舞い込んだのが、「バンタムの桜井が選手村にいない!」という知らせで、キャプテンだった白鳥さんは、夜中中桜井を探し回った。
すると彼は、一人で渋谷のバーで一人で酒を飲んでいたというのだ。
なんとも豪胆ではないか、桜井君は。

その結果、桜井は優勝して金メダル、白鳥さんは、3回戦でメキシコの18歳の少年に負けてしまったそうだ。
尤も、その少年はメダルを取ったので、実力もあったらしいが。

桜井は、ボクサーをやめた後、高田馬場で「メダリスト」という喫茶店をやっていて、私も一度行ったことがあるが、彼は店にきちんといた。
間もなくして、その店もやめたようで、幾つかの職に就いたようだが、特に大きな成功も失敗もしなかったのは、アウトボクサーらしい賢明さであるというべきだろうか。
「倒し、倒される」の、KO戦は彼には合わなかったわけだ。

食道ガンとのことで、やはり酒とタバコだろう。
日本のボクシング史に残る名選手のご冥福をお祈りする。

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コメント

  1. Unknown より:

    Unknown
    私も授業で、白鳥さんのボクシングを取りました。また浪人時代に馬場のメダリストに数回行きました。懐かしいです。