『サド公爵夫人』

三島由紀夫作の名作『サド侯爵夫人』を見る。
演出は、野村満斎、出演は、蒼井優、麻美れい、神野三鈴、白石加代子、美波、それに町田マリーである。

サドが、風紀紊乱で逮捕、投獄されたところから始まり、最後はフランス革命で出獄できるまでだが、サド公爵は一度も現れず、彼をめぐる女たちによってサドが語られる。
この台詞で劇ができている構造は、極めて歌舞伎的である。歌舞伎は、美術や衣装等の表現で成立しているように見えるが、その本質は実は台詞劇であり、すべては台詞で説明されて成立している。

1965年に初演されたことが信じられない程の反社会的な作品である。よくもこれだけの過激な劇を書いた三島由紀夫のすごさに改めて驚く。
この劇が最初に上演したのは劇団NLTだが、その連中が文学座から分裂するキッカケになった三島由紀夫の劇『喜びの琴』が文学座で上演拒否になったとき、彼は次のような声明を出した。
その趣旨は、「芸術には美と共に必ず毒があり、美だけを取り出して、毒はいらないという風な都合の良いことは出来ない」と。
この劇は、まさに毒そのもので、様々なサディスティツクな行為が女たちから語られる。
分かりやすく言えば、団鬼六と谷ナオミの世界である。

サド公爵夫人の蒼井優は、声が固くて台詞が聞きにくいのが大きな欠点だが、まさに泰西名画の女王のような顔つきで、想像以上の好演だった。母親の白石加代子との対話は、とても面白くてしばしば笑いが起きた。
麻美れいは、いつものことで台詞を歌うのが気になったが、堂々たる姿の美しさはさすがである。
神野三鈴は、「私は上手く演じているでしょう」という自己の演技に酔っているのは不快だったが、台詞は柔らかく聞こえた。

このサド公爵家は、あるいは三島の実家である平岡家のことのようにも思えた。
だが、平岡家には、サド侯爵の性的趣向を完全に理解する夫人はいなくて、それを嫌悪した妻の瑤子しかいなかったことが三島由紀夫の悲劇なのだろうか。
世田谷パブリック・シアター

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. イサドラ・ダンカン より:

    毎度反発
    「麻実れいの歌う様な台詞回しが気に入らない」と仰いますが、宝塚からのファンでなく、宝塚退団してから彼女のファンである方が異口同音で寧ろ貴方がお嫌いな歌う様な台詞回しが堪らなく大好きだとそう仰有る方も多数にいらっしゃいます。
    まあこればかりは嗜好の問題ですからこれ以上は慎みますが。

    ※これは邦画嫌いな私に対して観ろと「押し付けられた」ささやかな”やり返し”です。
    もうこれ以上私はこちらに参りません。
    何故なら邦画を観ろと言う事は”目に大便を刷り込まされる行為”同様ですので。そんな思いは真っ平ごめんです。

  2. さすらい日乗 より:

    簡単に言えば
    欧米へのコンプレックスではないのかどうか、よく自分の胸にお聞きになっては、いかがでしょうか。

    邦画を見ろ、と言ったことは一度もありませんが。