『みだれ髪』

ラピュタの山本富士子特集のモーニング・ショー、私が苦手の泉鏡花の原作を衣笠貞之助が1961年に脚本・監督したもの。
共演は、川崎敬三と勝新太郎で、医者と板前という適役に配置されている。

時代は、明治30年代、築地明石町の医院に、負傷した山本が運ばれて来る。
運び込んだのは、勝新太郎で、見知らぬ男と喧嘩した際に投げた酒瓶が山本の足に当たったのだ。
治療に当たるのは、若先生の川崎敬三で、山本は一目で川崎に惚れてしまうが、鏡花劇の常で、美男美女だから惚れ合うのである。
その点、勝新太郎は、やや醜男で、川崎のように絵に書いたごとき美男子ではないので、勝も、山本の美しさに惚れるが、相手にされない立場になる。
勿論、山本が深川の大きな材木屋の娘という身分違いがあるのだが。
その山本も、医者の息子である川崎との間では、「材木屋風情」と身分違いで、恋を割かれることになる。
ドイツ語を教える女の北林谷栄やその夫の中村伸郎らが、嫌味な上流人士を演じる。

明治から戦前までの封建的社会では、ある程度以上の家では、自由な恋愛は許されず、家と親が決めた結婚に従うものであった。
そこに女性の悲劇、特に美しい女性の悲劇の根源があった。
「山本富士子の演じる美しい女性が幸福を得られないのだから、私たちが不幸なのは仕方がないことだ」として、かつて日本映画の多くの女性観客は、主人公に同情し泣くことで大いにカタルシスを感じたのである。

ここでも川崎との中を引き裂かれた山本は、火事で家が潰れた(材木屋が火事になるというのは無用心の極みだが)ことから淪落し、芸者になって田舎に行く。
忠義な男の勝は(それがさらに山本の不幸を倍加させるのだが)、山本の後をついて下田、小田原にまで行く。
そこに馬車が故障した川崎が来て、山本の借財をすべて払い、自由の身にするが、逆上した勝は、川崎を包丁で殺そうとし、誤って山本を刺してしまう。
美人薄命の通り、降る雪の中、山本富士子は短い一生を終えるのである。

衣笠貞之助は、娯楽的に見えて実は、純粋娯楽ではなく、結構つかみどころのない監督だと私は思う。
最後は、同じ大映にいたことになる森一生、あるいは日本映画各社で娯楽映画を多作したマキノ雅弘とも違うところがある。
『ある夜の殿様』に見られるように意外にも左翼的であったりするのだ。
それは、おそらく彼自身ではなく、彼の弟子として周囲にいた楠田清らの影響のように私は思う。
楠田清は、戦前からの日本共産党員で、黒澤明が『わが青春に悔いなし』を準備しているとき、筋が似ているからと東宝の組合が、黒澤作品の方を変えさせた映画『命ある限り』で監督デビューした人である。
その後、彼は、衣笠貞之助について大映等で相楽準三の名で脚本執筆や舞台演出をした。
阿佐ヶ谷ラオピュタ モーニング・ショー

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