岡本坦さんの幅の広さにあらためて驚く

3月に亡くなられた岡本坦元さんのお別れ会が行われたので、行く。
会場のパシフィコ横浜のアネックス・ホールは、1,000席で、私が行った4時過ぎは、ほぼ7割方席が埋まっていた。
帰りの5時以降になると、横浜市の現役の方も来館して来ていたので、千人は越えるだろうと思う。
さすがである。

会場で、昔パシフィコ横浜に出向していたいた高橋年男さんがいたので、二人で野毛の椿で飲む。
高橋さんは、最高学府を出てJTBに入り、海外旅行営業の大ベテランで、設立されたパシフィコ横浜に来て、われわれ素人に営業を指導してくれた方である。
今は、JTBを退職され、系列の旅行業の専門学校の教員を努められている。
また、独協大学の講師もやっているとのことで、その科目は「ツーリズム・メディア論」だそうだ。
考えると旅行とメディアは、極めて関係が深く、江戸時代の十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は、まさに旅行メディアだった。

明治時代に日本も最初に上映されたサイレント映画は、「ナイアガラの滝」など世界各地の映像であり、昭和40年代の松竹、東映には「旅行シリーズ」映画があった。
岡田則夫さんによれば、戦前まで日本各地のバスガイドの説明のレコードがあり、相当売れていたそうだが、それもなかなか旅行に行けない庶民の旅行代わりだった。

さて、岡本坦さんについてもいろいろの話が出た。
当時副社長だった石井敬一郎さんと岡本さん、高橋さんの3人で、オーストラリアのシドニーの国際会議場を視察に行ったこと。
これも後に市助役となる当時は都市計画局長だった江口さんたちと麻雀をやったことなど。
さらに、高橋さんは、岡本さんが、パシフィコ横浜の社内で村上春樹の『ノルウェーの森』を読んでいるのを見たことがあるそうだ。
これには私も初耳で大変に驚いた。
前に、岡本さんとジャズのことを書いたが、村上春樹まで読んでいるとはさすがである。

岡本坦さんと言えば、酒、タバコ、麻雀、ゴルフしかないと横浜市役所のほとんどの方は思っていただろうが、実はそれだけではなかったのである。
パシフィコ横浜の初代社長で、元大蔵次官の高木文雄さんも、何にでも興味を持つ非常にセンスの優れた方だったが、岡本坦さんにもそうした資質があったことにあらためて感心し、二人で野毛で心からのご冥福をお祈りした。

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