大衆文化評論家と名乗ることにしました

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3月末で、再任用職員としての期間も過ぎ、これで完全に横浜市の職員ではなくなった。
1972年4月以来、一般職職員として36年間、さらに再任用職員として4年勤務し、合計40年間横浜市に勤務、昔の言葉で言えば奉職することができた。

この間1990年代以降では、パシフィコ横浜という名称作りを担当したほか、オープニング・イベントとして『ウォーマッド横浜』を企画し、一大ワールド・ミュージックのイベントとして1991年夏に実施することができた。

また、中央図書館にいた時は、1995年の当時は世間を大きく騒がしていて、今はもう誰も言わない「図書館無料貸本屋論」に正面から抗した。
無料貸本屋と言うが、有料貸本屋がほとんど存在しない方が変である。
かつて全国に2万軒以上もあった貸本屋が、現在(当時)は500軒にまで減少したのは、著作権法の扱いに問題があったのだ。

それは、貸レコード店問題が起きたときの、臨時措置法を著作権法に組み入れる形で、「貸与権」ができ、レコードについてはレンタル毎に権利者に使用料が払われる仕組みができた。
ところが、本と雑誌については、江戸時代から貸本業の歴史があるので、貸与権は適用猶予のままになっていた。
つまり、その扱いが微妙で、新規に貸本業を開業する方法がなかった。
それなら、「本と雑誌にも貸与権を適用し、きちんと利用者から徴収した料金が著作者に還元されるようにすれば良い」との提言を『出版ニュース』で行なった。
それに刺激されて、著作権者からの要望で、貸与権が本と雑誌にも適用されるよう3年後に著作権法の改正が行われた。
今では、レンタル・コミックという形の新たな貸本業が拡大している。
また、図書館が本を貸すから本が売れないなどとバカな事を言う人間は今はどこにもいない。本が売れないのは、平成以来の景気の長期低迷とインターネットの普及によるものである。

金沢区役所にいた時は、2008年6月に横浜で「国連アフリカ開発会議」が開催され、それに協賛して金沢区アフリカ月間として、北中正和さんによる「アフリカ音楽講座」の他、ナイジェリアの作家エイモス・ツッオーラの小説『やし酒飲み』をミュージカル化し、高校生によって上演することができた。

そして、最後の栄図書館では、昨年が横浜市図書館創立90周年を記念し、この90年間の世界と日本の音楽や芸能を回顧する『横浜で交差した音』を、北中正和さん、山岸伸一さん、そして岡田則夫さんのご協力を得て行うことができた。
これも多くの方のご理解、ご協力のお陰であり、心から感謝する次第です。

そして、一横浜市民となり、どう名乗ろうかこの間考えて来ました。
以前北中正和さんが、『毎日ワールド・ミュージック』の出版の際の、渋谷のエルスールで行われた時、次のように言われた。
自分は常に新しい、日本の誰も知らないような音楽を追いかけているので、いつも音楽を聞き、それから急に調べて「ああだ、こうだ」と言っている。まるで学生の一夜漬けの勉強のようにやって来たとおっしゃったことがある。
その「一夜漬け」と言うのはカッコいいと思い、最初は「一夜漬け評論家」としようかと思った。
でも、それでは漬物評論家みたいなので、一番無難な「大衆文化評論家」にしました。
ジャンルとしては、演劇、映画、ポピュラー音楽、大衆芸能、著作権等です。
評論家とは言え、批評をはじめ、あらゆる論文、作文をしますので、気軽にお申し付けください。
その際は、以下のアドレスにお願いいたします。

yoshinocho@jcom.home.ne.jp   指田 文夫です。
232‐0014 横浜市南区吉野町5-22-10-801

どうぞよろしくお願いいたします。

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