ボーイズ芸は、戦前、戦中が最高だった

先日、あきれたぼういずや漫談を集めた名LP『漫談・ボーイズ全員集合』を神保町のコード社で買った。
昔、中村とうようさんの著作で触れられていて、欲しいと思っていたもの。
漫談の始めから、言うまでもなくボーイズものの創始者である、あきれたぼういず、戦後の川田晴久の弟子で、それぞれがグループを作った小嶋宏之とダイナ・ブラザース、灘康次とモダン・カンカン、さらに人見あきらとスイング・ボーイズ、シャンバローなど。
また、漫談もウクレレの牧伸二、先日亡くなられた歌謡声帯模写の白山雅一なども入っている。

4枚組のLPを聞いて思ったのは、ボーイズものが最高だったのは、戦前、戦中で、残念ながら戦後のはつまらないということである。
戦後の小島、灘、さらにここには入っていないが、テレビによく出ていた鹿島密夫らには、川田晴久のようなセンスはなく、レベルは随分違落ちている。
ボーイズものが、戦後だめになった理由は、いろいろあるだろうが、やはり大きいのは、映画、レコードなど、アメリカの大衆文化が直接に入ってくるようになったことがあると思う。
川田晴久ら、あきれたぼういずのメンバーは、戦前にアメリカの映画、ダンス等々をすばやく取り入れ、芸として披露し、大きな人気を得た。
戦後の川田の弟子たちは、そこまでの音楽的なセンスも能力もなかったようだ。
あきれたぼういずの芸を戦後に引き継いだのは、クレイジー・キャッツだったと私は思う。

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