平家、海軍、国際派

約20年前の1991年、横浜で国連ピースメッセンジャー都市会議が開催され、私も国際室担当課長で、その一事務局員だったのだが、その当時の人間が、私の横浜市退職祝いを兼ねて久しぶりに集まった。
全部で11人で、その内7人はすでに退職組、現役の職員は4人という状況だった。

各自の近況報告と国際室時代の私の悪行が暴かれたが、随分忘れていることを指摘されて驚く。
日常的にやっていたことは、多分他人には目についても、自分では記憶しないためだろうと思う。

多くの退職組は、それぞれにやることを持っていて、皆元気に活躍されているとのこと。
まずはめでたい。
現役組からいろいろと横浜市、特に林文子市長のことを聞いた。
大きく変わったことは、市長室の以前の異常な警備、ガードがなくなったことで、これは第一に評価できることだろう。
林市長は、来年の再選のことなど視野にないそうで、今年の文化イベントの「ダンス、ダンス、ダンス」、来年の「音楽イベント」等には、大げさに言えば政治的生命を掛けても良いものにして、成功させ、横浜市に貢献するものとしたいそうである。
多分、嘘ではないと思う。

昔から、平家、海軍、国際派と言われ、日本でダメな、常に主流になれない一派で、今年のNHKの大河ドラマ『平清盛』も振るわないそうであるが、私は毎週見ている口である。
平家と天皇、上皇、さらに藤原等の貴族との複雑な関係、武士と貴族との軋轢等をよく描いていると思う。
ただ、あまり単純化していないので分かりにくいのと、男たちが裸で出てくるのが、評判の悪さになっているのだと思う。
だが、この時期の日本人は、裸同然の状態が普通であり、少しもおかしくないと思う。

会場は、横浜駅東口の横浜ベイ・クォーターだったが、中は人出で大変な賑わいだった。
みなとみらい21も、パシフィコ横浜が開場した1991年は、周囲に何もなく、文法具を買うのにタクシーで野毛まで行った、という笑い話があったが、本当に街として成熟してきたようだ。
最近では、パシフィコ横浜も桜木町駅から見えにくくなっているので、「パシフィコ横浜はどこですか」との電話が来るそうであるのだから。
この20年間の横浜都心部の発展を再認識した一日だった。

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