「類は友を呼ぶ」  橋下徹 中田宏 太田正孝

ことわざに「類は友を呼ぶ」があり、フランスのシュールレアリズムの詩人アンドレ・ブルトンの言葉にも、「その人間が付き合っている人間をみれば、その人間が分かる」がある。
要は、人は自分と似た人間と付き合うものだと言える。
この橋下徹大阪市長、中田宏前横浜市長、そして太田正孝横浜市会議員は、それぞれの言い分はあるだろうが、客観的に見て同類であると私は思うので、以下に書く。

さて、橋下、中田は知っているが、「太田正孝って誰れ」と思われるに違いない。
彼は、横浜市磯子区選出の市会議員で、9期の大ベテラン、でも議長等の公職に一度も就いたことのない、無所属の「一匹狼」である。
生まれは、磯子の滝頭、脳血管医療センター近くの理髪店、というより床屋さんのせがれで、お父さんは腰の低い温厚な方であった。
つい最近までご健在で、地元をはじめ磯子区の老人クラブの行事にもよく出てこられていた。
そして、「息子をよろしく」と頭を下げられていた。
太田青年は、そのような生まれだったが、政治への志向性が強く、高校時代から地元で青年団活動をやっていた。
平たく言えば、自民党青年部で活動していたのである、勿論、議員になるために。
だが、当時磯子区の市会議員定数は5人で、自民党は現職が2人いたので、自民党からは出られず、2回無所属で出て、二度落ちた。
だが、1976年に河野洋平らが新自由クラブを結成し、たちまちに「新自由クラブブーム」を起こすと、1979年の市会議員選挙では、同党公認で出て見事当選し、以後9期連続当選されている。
ただし、2001年の参議院通常選挙のとき、当時の小沢一郎の自由党公認候補として、市会議員を辞めて神奈川選挙区から出て落選したので、市会議員としての任期は2年欠けている。

そして、2002年に高秀秀信横浜市長が、4選を目指して立候補したとき、当時衆議院議員だった中田宏氏も立候補し、当選された。
このとき、中田氏を支持したのは、佐藤謙一郎衆議院議員をトップとする民主党よこはま会の市会議員の会派、ネットワーク横浜、そして太田正孝先生で、他の党派、会派はみな高秀市長支持だったのである。
この後、しばらくの間は、中田宏市長と太田正孝議員の蜜月期間が続いたようである。
だが、いつの頃からか、中田氏と太田先生は、犬猿の仲になってしまった。
原因はよく分からない。

中田宏市長の評価も、今では様々だが、客観的に見て、1期目は、評価できたと思う。
彼が言うほど、[
横浜市の「行政改革」が彼の力のみで成功したわけではないが、近年太田先生の、ご自身の掲示板でしきりと交わされているご意見のような「諸悪の根源は中田改革」ではないと思う。
ところが正直に言って中田氏の2期目は、大変お粗末なものになった。
横浜でやった「開国150周年博覧会」がその最たるもので、横浜市という一地方自治体主催のイベントで、開国とはまことに僭越である。
もし、開国を祝うイベントならば、日本国が主催しなくては、道理が通らない。

公私混同も多々あり、その一つは市長車にジャガーを使ったことである。
ある会合で、中田市長のお着きを待っていると、見慣れぬ外車が来て止まり、そこから中田市長がさっそうと現れた。
すぐに随行の職員に聞くと「ジャガーですよ」とのお答え。
横浜市では、幹部職員の公用車は地元企業日産の車と決まっていた。
それをジャガーとは大変驚いた。これは、少しの期間ですぐにやめたようだが。
二言目には横浜経済の拡大を言っておきながら、外国企業の車を使うとは非常識もはなはだしい。
お里が知れるというべきか、自分がしてみたかったことを公職に就いたことで実現させたのは、中田氏の本性が出たというべきだろう。

2期目の途中で突如市長を辞職した際の中田氏の「女性スキャンダル事件」、私は本当だと思う。
2006年4月、2期目の選挙で得票率70%の絶対多数で中田氏が、当選され、横浜市庁舎に初登庁されたとき、私も職員のその他大勢で見に行った。
そのとき、役人たちの大群衆の中に、一人の女性と二人の女子学生がいた。
そして、車から降りた中田氏は、その女性たちの前を通りすぎる時、軽く手を挙げたので、「ああこの人が市長の奥さんたちなのか」と思った。
背が高く、やせた品の良い女性だった。
そして、女性スキャンダル事件の女性がテレビに出てきて記者会見をした。
このとき、私はこの女性の感じが、品性はともかくとして、中田氏の奥さんの感じにとてもよく似ているのに驚いた。
ビル・クリントン元米国大統領が、ヒラリー・クリントンにどこか似ているモニカ・ルインスキーを選んだように、男女の好む相手のタイプは概ね常に同じなのである。
中田氏も、奥さんのような感じでの女性を選んで、交際していたのだろうと思う。
私の知り合いの女性たちは、この元クラブの女性に対し一様に不快感を示し、
「なんんであんな下品な女を」と怒っていたが、これもまさに「類は友を呼ぶ」で、元々中田氏は、あの女性と同等のレベルの人間だったのである。
ともかく、中田宏氏ほど、その顔つきが醜悪になった人間を私は知らない。
市長に当選したころは、まるで悪意のない若者顔だったのが、今ではヤクザのような悪役面である。
その変化の裏には、よほどのことがあったのでは、と思うのが普通の感覚だろう。
さて、今は大阪市特別顧問として中田氏は、ご活躍されているとのことまことにご同慶の至である。

この橋下徹、中田宏、太田正孝の3人は、大変共通したところがある。
まず、家柄はさして良くないこと。
政治家の家系ではなく、しかもそれほど富豪な家でもなかったこと。
学歴はバラバラだが、教養をあまり持っていないこと、むしろそうした余計な知識を軽蔑する偽悪的な性向があること。
そして、基本的に保守だが、非自民であること。
勿論、橋下、中田両氏は、「保守じゃない、改革派だ」と言われるだろう。
橋下氏は、かつては民主党を支持していたこともあり、彼は基本的には「日和見主義」、その時々の人気の勢力に付くのが政治的姿勢だと私は思う。
勿論、日和見的と言えば、日本のほとんどの政治家は基本的に日和見主義であり、そうした性向の政治的集団の集大成が自民党であるとも言える。

さて、今後だが、「橋下徹が総理になる日」が雑誌等で言われている。
だが、私はないと思う。
橋下徹は、保守本流ではないからである。
日本では、保守本流以外が総理大臣になったのはほとんどなく、小泉純一郎以外では、田中角栄、三木武夫らが数少ない例外で、民主党の鳩山由紀夫も、ある意味で保守の本流の一人である。
彼が民主党の代表でなかったら、あの衆議院議員選挙で、民主党は大勝しなかったと私は思う。
日本人は、細川護煕と言い、家柄の良い人が好きなのである。

「類は友をよぶ」とは、本当に真実であると思う。

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コメント

  1. 32 より:

    中田・太田確執
    ある市議が、無所属のところ会派に入ることになった。その駆け引きで中田市長与党集団「ヨコハマから日本を変える会」と太田の「無所属クラブ」が衝突した(その時は「無所属クラブ」に入る)。太田がある市議に中田から入った電話にそば耳を立てて「太田は山口組だ」と中田が行ったという太田証言を割り引いたとしても、当たらずとも遠からずに思えます。

  2. 名無し より:

    Unknown
    私は、太田正孝氏を良く知っている者です。
    太田正孝氏は、家が貧しかったために学費がどうしても払えず、学歴は低いですが、
    常に読書を欠かさず、勉強家であります。
    知識を軽蔑するということは、まったくありません。

    そして「強面」でとおっていますが、実は善良なかたで腰も低いです。
    断じて、中田前市長のような極悪人ではありません。
    それだけは、知っておいてください。

  3. さすらい日乗 より:

    私もよく知っています
    太田先生の初当選の時は、市会にいて、その後区役所でも一緒でした。
    その時、ある事案でお世話したとき、太田先生には
    「課長、一生恩に着るよ」と電話で言われましたが。
    噂はいろいろあるようですね。

  4. Unknown より:

    Unknown
    だいぶ前に二番目のコメントを書いたものです。

    私は太田正孝の親族です。

    太田正孝本人に確認したところ、貴方様の事は残念ながら覚えていないようです。

  5. Unknown より:

    Unknown
    上のコメントを書いたものです。

    貴方様は、ご自分でこの記事を書き、堂々と、よりにもよって中田と太田を同列に置くという失礼極まりないことをされながら、『噂はいろいろあるようですね』と、ご自分に非がないような仰りようをされてます。

    少なくとも中田は、横浜市の公務に使うべき金をプライベートで湯水のように使っていた極悪人です。
    その中田の悪行を暴き、横浜市から追い出したのは、ほかでもない太田正孝です。

    また、太田と親密であったことを匂わせながら、反面、太田を「教養がない」などと、ネットという公共の場で根拠もなく勝手に誹謗中傷するのはいかがなものでしょうか。「教養」という言葉の意味を一度問い直してみる必要はございませんか?

  6. 知らないとは不思議です
    前にも書いたように私は、1972年から1983年まで横浜市会事務局にいて、庶務課や議長秘書をやっていました。また、磯子区では福祉課長をやっていたので、多くの場面で太田先生とお会いしています。
    知らないと言われるのは、その頃の仕事ぶりと現在の私の姿が結び付かないからだと思います。
    もしお忘れになっているとしたら、それはあんまりで「太田正孝も、もうろくした」と言いいたくなりますが。

    中田宏前市長は、最後はひどかったと思いますが、公平に見て1期目は評価できたと思います。
    高秀市政の停滞を破ったのは大きな成果だった思う。だからこそ、1期目は太田先生も支持されていたのではないでしょうか。
    ただ、2期目は「地金が出た」というか、様々なところからの誘惑に勝てなかったと言うべきか、非常にひどくなり、その最たるものが「開国博」の空騒ぎでした。

    教養云々については、人によって教養そのもの意味が異なるので、コメントしませんので、どうぞよろしく。

  7. 間賀凜 より:

    Unknown
    なんかわかるような気がします。

    私がお世話になった会社の会長もこんな感じでした。個人的には指田さんの意見に私近いですわ。

  8. Unknown より:

    Unknown
    貴方が書いていることは出鱈目です。
    理由は以下のとおりです。

    1)「この橋下徹大阪市長、中田宏前横浜市長、そして太田正孝横浜市会議員は・・・客観的に見て同類であると私は思うので・・」というように、「客観的」であると主張しながら、その実、主観で塗り固められた自論を展開しているにすぎない。

    「教養云々については、人によって教養そのもの意味が異なるので・・・」ということは、貴方独自の「教養」の定義によって、太田正孝に教養が無いとおっしゃっているのですよね。これを主観に寄るものではないとして、なんとするのでしょうか。

    2)誤った事実を載せている。
    太田正孝は、「自民党青年部で活動していた」と記事にありますが、そのような事実はございません。
    (これについては本人が、「確認をしたいのならば電話してくれ。匿名であっても答える」と言っています。)

    「客観的」を謳うのであれば、せめて正確な情報を掲載してください。

    しかも、いうに事欠いて、「もうろくした」と誹謗中傷を重ねるのは、いかがなものでしょうか。
    とても教養ある方の発言とは思えません。
    そのような事をネット上で平気で仰る方だから、太田のほうも貴方を覚えていないのではないですか。

    良識ある市民の方々が、貴方の記事をまともに受け取らないことを祈るばかりです。

  9. 親族の証言というものは
    裁判等でも親族の証言は、証拠にならないと承知しておりますが。

    それこそ主観的というものでしょうね。