肉体労働の象徴としてのフンドシ姿 『兄いもうと』

昭和11年に作られた木村荘十二監督のPCL映画『兄いもうと』を見る。
これは、後に成瀬巳喜男監督、今井正監督で作られ、いずれも名作のほまれの高い作品だが、その最初の映画化である。
主人公のもんは、竹久千恵子、伊之は丸山定夫である。他に、英百合子、堀越節子、大川平八郎など。

冒頭から多摩川の上流の工事現場で、親方の小杉義男の怒声の下で働く労働者、というより土工、土方の姿が出てくるが、これが全員フンドシ姿なのである。
親方の小杉は、腰にパッチのようなものをはいているが他の土方は、全員お尻丸出しのフンドシ姿。
その結び方にもいろいろあるものだなと感心してしまったが、このシーンには少々驚いた。
たしかに昭和初期の頃までは、下層の大衆はほとんど裸のような格好で暮らしていたはずで、これは正しい。
特に、監督の木村荘十二は、プロレタリア映画同盟のメンバーだった人であり、ここには肉体労働者の象徴としての意味があると思う。

後の成瀬巳喜男や今井正作品では、こうした姿はない。
せいぜい今井作品で草刈正雄が、Tシャツ姿で出てくる程度であった。

今、日曜日に放送されている大河ドラマ『平清盛』の評判が大変悪かったが、それも清盛の郎党が、フンドシ姿でよく出てきたからではないだろうか。
男のフンドシは、相撲の関取だけなのであろう。
それだけテレビでは、直接の肉体性の表現が忌避されて来ているということなのだろうか。
横浜市中央図書館AVコーナー

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