『妖婆』

以前から是非見たいと思っていた今井正監督作品の一つ。
1976年に、当時の『エクソシスト』の大ヒットに始まるホラー・ブームの中で公開された作品の一つ。
「あの今井正がホラーを」と言われたが、勿論当たらず、その後ほとんど上映されることのない作品。
今井正の回想によれば、東宝での映画『あにいもうと』の撮影中に永田雅一から話があり、水木洋子の脚本を読んでびっくりして、辞退したがスタッフも既に編成されていて仕方なく撮ったという映画。
旧大映京都のスタッフの美術、衣装はすごいが、今井は、「撮影の宮川一夫がひどく頑固で、フィックスでしか撮らなかったので、大変苦労した」と言っている。

原作は、芥川龍之介の短編で、東京浅草の大金持ちの大滝秀治と東恵美子の娘京マチ子の数奇な話。
彼女は、インテリらしい男江原真二郎を親の命で婿に取り結婚するが、なぜか江原とは性交できない。
江原は、「かたわ」と言いふらし、京マチ子の従姉妹で、家に同居していた性悪女の稲野和子と出来てしまう。

この映画は、稲野和子の裕福な娘の京マチ子への嫉妬が基であり、二人の女性の心理的争いとしては、途中までは、面白い。
娘を心配した東恵美子は、京を怪しげな祈祷師三国連太郎のところに連れて行き、取り付いている悪霊を取り除かせるが、勿論三国にものにされてしまう。
この三国のいかがわしさは最高で、場内爆笑。
そして、関東大震災が起き、家は潰れ、両親も死んでしまう。

京は、田舎に逃れる逃避行の中で、親切な男の児玉清と会い、田舎で一緒になるが、彼との生活も長くは続かず、浅草に戻り、針仕事で生計を立てることになる。
児玉清の本によれば、児玉に今井は「僕はもうこの映画は諦めているのです」と言い、ろくにラッシュも見に行かなかったそうだ。
大映京都のスタッフの中で孤立していたらしい。
黒澤明の、映画『トラ・トラ・トラ!』での、東映京都とのトラブルと言い、旧東宝系の監督と京都の撮影所は相性が良くないらしい。

そこに、荒砂ユキの髪結床の亭主・江原真二郎と未だに関係を続けている稲野和子がやって来る。
稲野もいろいろ男で苦労したが、一人娘の神保美喜をやっと志垣太郎と添わせるようになったので、神保の婚礼衣装を仕立ててくれと言ってくる。

ここからがいよいよオカルト合戦の始まり。
神保に霊が付き、それを除霊する初井言栄の神降ろし、京マチ子がいきなり老婆になって神保のところに現れる等になる。
その関係はよく分からないが、稲野和子の台詞によれば、老婆の霊があり、いつまでも若い京マチ子に付いた悪霊が、さらに若い女を求めて神保に乗り移ったのだそうだ。
最後、京マチ子は年相応の老婆になって川で死んでいる。

なんでこんな愚かしいシナリオを名脚本家の水木洋子が書いたのか。
白坂依志夫によれば、水木洋子は、小林正樹監督の大作『怪談』を書く過程で、全国の祈祷師を取材し、次第にホラーに入ってしまい、自ら預言者のようになってしまったのだそうである。
白坂のところにも、
「今付き合っている女性には悪い霊が付いているからすぐにやめなさい」とのご宣託が電話で何度もあったとのこと。

この映画は、非常に愚かしいが、監督を今井正のような真面目で論理的な人ではなく、石井輝男や舛田利雄あたりが撮ったら、最後などは随分変わったのではないかと思うのだ。
ホラーなどは、所詮はコケ脅しなのだから、今井のようにまじめにリアリズムではなく、あの手、この手の脅しで作れば面白かったと思うのだが。

同様に小林正樹の大作『怪談』も、小林のようなリアリズム作家ではなく、中川信夫のような反リアリズムの娯楽映画監督が撮った方が良かったのではないかと私は思っている。
今井正曰く、「自分の作品の中で最悪の1本」だそうだ。
フィルム・センター

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