『太平洋ひとりぼっち』

1962年に、24歳の無名の青年、堀江謙一が、西宮から出てサンフランシスコまで、小型のヨットを一人で操縦して太平洋横断に成功した。

密出国なので、当初日本での評判は悪かったが、さすが移民の国で、冒険好きなアメリカである。
サンフランシスコはじめアメリカ人の絶賛の前に、次第に英雄的になり、彼の本『太平洋ひとりぼっち』もベストセラーになった。
それを、石原プロモーションを作って、自らもヨットの愛好家だった石原裕次郎が、監督に市川崑を迎えて1963年に作った映画である。
日本映画界から一人で独立プロを作った石原裕次郎も、堀江謙一のように荒海にヨットで船出する気分だったかもしれない。

大変よくできた面白い映画だが、実は公開当時はそれほど大ヒットしたわけではない。
やはり、法を犯してアメリカに行ったことが、遵法精神の強い日本人には本質的に受けなかったためだろう。

最後、航海に成功したとき、日本の西宮の留守家族へのインタビューがあるが、そこで父親の森雅之は、
「皆さんにお詫びさせます。二度としないようにさせます」と謝る。
今見ると大変な違和感だが、当時はそのようなものだった。

この映画を見て面白いのは、堀江謙一は、「太平洋ひとりぼっち」ではなく、「日本社会でひとりぼっち」なことである。
彼が、ヨットで太平洋横断をしてみたいという考えを支持してくれる人間は、家族にも、ヨット仲間にもおらず、彼の唯一の友は犬だけである。
一人だけ消極的だが、堀江を理解してくれる高校のヨット部の先輩が、ハナ肇がいい。

この映画を見ていると、裕次郎の家族、父親で町工場主の森雅之、母親の田中絹代は、1960年の市川崑監督の名作『おとうと』の両親であり、そこでの不良少年の川口浩が、裕次郎に代わっていることに気づく。
だが、昭和初期の不良少年の川口浩は、不品行からくる結核で若死にしてしまうが、戦後の若者の堀江謙一氏は未だにお元気で活躍されているのは、やはり時代と社会の進歩というべきだろう。

だが、この映画を見て思うのは、ヨットで単独太平洋横断などという「冒険」を思い実行する人間は、日本の社会では相当に変った奴で、当然にも「ひとりぼっち」であり、そういう人間のみが「歴史的快挙」を成し遂げるということである。

今回のオリンピックを見ても、二言目には互いの団結と協力、家族等の支えが強調される国の形は、1960年代から50年以上も経っても未だに変わっていないというべきだろう。

チャンネルNECO 日活映画100年特集

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