今井正は、なぜ『子育てごっこ』を作ったのか


映画『子育てごっこ』は、悪い作品ではなく、今井監督作品には、『沼津兵学校』『青い山脈』『山びこ学校』と学校を舞台にした作品も多いので、この僻地での、異常な子供への子育ても、別におかしなことではないように思えるかもしれない。
だが、私は、なぜ今井正が、この作品を作ったかを勝手に推測してみたいと思う。

今井正は、言うまでもなく旧制高校生時代にから共産主義運動を正しいと信じ、それに挺身した人だった。
そして、その頃、彼は水戸で知り合った極貧の一少女に当然にも同情し、その結果結婚してしまう。
それは、インテリとしての彼の贖罪意識もあっただろうと思う。

だが、彼女は貧困から来る教育環境のひどさで、普通の割り算もできない女性だったそうだ。
勿論、今井は妻の教育的向上に努力したが、結局うまくいかず、戦後は今井が、東宝から離れ、独立プロで経済的困難な道を歩むとき、妻は人の道に外れる行為をしてしまい、さすがの今井もそれを許すことはできず、離婚したそうである。

そのことは、傑作『夜の鼓』に主演した三國連太郎が、同作品での妻役有馬稲子への「過酷な暴力的行為は、今井監督の現実の実情から来たものではないでしょうか」と証言していて、多分それは間違いないだろうと思う。

映画『子育てごっこ』での、主人公牛原千恵の自由奔放さ、大人がなかなか制御できない性格は、今井正の最初の妻が投影されていると思われると言ったら、言いすぎだろうか。

今井正というのは、どうしてどうして一筋縄では形容できない監督だと思う。

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