『太陽を射るもの』

昔から気になっていた新東宝映画の一本が、今回今井正特集で見られというので、見に行く。
新東宝といううのは、大変に変な映画会社で、大蔵貢が社長になって以後は、エロ、グロ、ナンセンスの見世物作品が主流になるが、それでも時々左翼独立プロの作品も公開されたのである。
いずれにしても、日本映画界の最底辺であったことに間違いはないが。

話は、伊豆の伊東市の漁民で、今井正は監修であり、どの程度関わったのかは分からない。
おそらく、今井が東映で大ヒットの農民を描いた名作『米』を監督したので、漁民の生態を描いたこの作品にも関わりをお願いしたのかもしれない。
製作の山田典吾は、東宝のプロデューサーだったので、今井をはじめ新東宝の経営者にも知り合いが多くいたのだろう。

戦後の伊東では、魚が取れなくなり、沿岸漁業は不振である。
船元の家の長男・塚本信夫のところでも、事情は同じで、婚約者柏木優子とは、2年間も結婚できず、日々の不漁を嘆くばかり。
父親の名は分からないが、よく見た役者である。その他、島田屯や本郷淳等の新劇役者が多く出ている。

柏木は、バーに働きに出て、不動産屋の男から口説かれたりしている。
そこに、次男で焼津のマグロ船に乗っていた、平田大三郎が戻ってくる。
彼と不動産屋の娘との恋愛騒ぎもある中で、父親は自棄糞のように出た漁の中で、鯖の大群に遭遇するが、その甲板で急死してしまう。
一旦は、漁業を辞め、相続した土地を不動産屋に売却し、漁業をやめるつもりだった塚本は、やはり漁業をすることを選ぶ。
平田大三郎は、少女と共に家出のように伊東を出て、焼津に行き、同棲することにする。

内容的にはどうということもないが、父親の死に際して、「船員保険が下りて助かった」という件や、焼津の船員保険寮が少女に言わせれば「ホテルのようにすごく立派」というなど、船員保険制度への賛美が気になる。
そこから金をもらっていたのだろうか。

いずれにしても、照明がひどくて役者の顔がほとんど分からないが、この感じはすぐにピンク映画のものになっていく。
この映画が公開された1961年1月の半年後、映画『北上川夜曲』で新東宝は終わりになる。
その意味では、時代を象徴する作品の一つであろう。

フィルム・センター

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする