『恋はいつもアマンドピンク』

「ああやっていたな」と思いつつ、「多分ひどいだろうな」と思い見てこなかった映画の1本。
やはり、ひどいの一語につきる。
こういうものを上映し長い間観客を裏切ってきたから、松竹は映画をやめることになったのである。

原作は、人気漫画らしいが、一体どこが面白いのだろう。
大体、28歳の独身女性をオールド・ミスとして、その生態を笑おうというセンス自体が滑稽と言うしかないが、1980年代はそんなものだったのだろうか。

樋口可南子の父親の川崎敬三が、樋口より年下の女秋本奈緒美を家に連れてきて、「結婚する」と宣言するところから始まる。
だが、樋口の仕草が主婦めいていて、川崎の妻ではないかと思うので、この関係は少し混乱した。
そして、結婚式で樋口を見初めた川野太郎が、樋口とデートする経過で話が進んでいく。

だが、この映画が愚かしいのは、監督の横山博人をはじめ、制作サイドの誰もが、この話を一切信じていないことである。
スタッフ、キャストが信じられない物語を観客が感動するわけがない。
ともかく全てが嘘くさく、インチキ話にしか見えないのである。
樋口がわざとブスに振る舞うのは、嫌味としか思えない。
最後、一度は誤解で別れたが、川野が樋口を追いかけてきて終わる。

この愚劣映画で意義があるとすれば、二つしかない。
一つは、最初に日本丸パークで川野にキスされた樋口が、喜びのあまりに踊るシーンで、ここは今はなき横浜港の一文字埠頭である。
これについては、以前書いたので詳説しないが、昭和38年の横浜市長選挙の舞台裏になったところで、今はみなとみらいの新港地区のワールド・ポーターズのあたりになっている。
ここは、ひどく狭い場所だったので、映像化されることはほとんどなく貴重な資料である。

もう一つは、最後の方で、樋口が家でご飯を食べる時に、両手の指の間に箸を載せて「いただきます」という、例の奇妙な仕草をすることである。
これは今の日本に氾濫している動作だが、つい最近まで見なかったものである。
嘘だと思うなら、小津安二郎、成瀬巳喜男、山田洋次等の作品の食事のシーンを見るが良い。
どこにもないはずである。
その意味では、1988年にしているのは、多分かなり早い時期のものである。
日本映画史上最初かもしれない。
チャンネルNECO

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コメント

  1. 利根三山 より:

    Unknown
    お久しぶりです。師の岡田則夫がレコード探しのたびから帰ってきましてCDの件の許可をとりました。遅くなりましてすみません。メールをお送りいたしましたが返ってきてしまいました…。よろしくお願いいたします。