天一坊騒動の意味は

七代目松本幸四郎のことを書いたが、昨日、その幸四郎主演の松竹映画『天下御免』が放映された。
監督は渡辺邦夫で、話は江戸時代中期、吉宗時代に起きたご落胤騒動の「天一坊」事件のことである。

天一坊は、北上弥太郎で、山内伊賀亮介は、森美樹、松本幸四郎は相対する大岡越前である。
ここでの北上弥太郎の天一坊は、偽物だが、自分は本当に吉宗の子だと信じており、その純真さを利用して森美樹たちは、大阪から江戸に乗り込んで騒動を起こす。
森美樹たちは、豊臣秀吉側の子孫で、徳川を転覆させたいと思っている。

いろいろあるが、最後は偽物であることが暴かれる。
その時、幸四郎の大岡越前は、北上弥太郎自身は「本当に自分は吉宗の子だということを信じていて罪はない」ことを話す。
と妻の山田五十鈴は言う。
「江戸の人間はすべて上様の子供のようなものです」

このとき、ああそうかと思った。
天一坊事件のようなご落胤騒動は、子供がよく抱く「もらいっ子幻想」だと思っていた。
だが、そうではないのである。

戦前、「日本人は全員天皇の赤子」と言われたことと同じ意識なのだ。
「自分は、天皇陛下と心は結ばれていて、そのことを陛下はわかってくれている」という心理である。

さらに、戦前、戦中の右翼、軍部の意識では、そうした自分たちと天皇陛下との間を、木戸幸一、牧野、近衛文麿らの「君側の奸」が阻んでいると思っていた。
勿論、昭和天皇は、西欧派であり、皇道派を嫌っていたのだが。

自分は、本当はその組織の頂上の人と繋がっていて、その間をおかしな中間層が存在しているが、本当は上と心では一緒だという意識はどこにでもあると思う。

天一坊事件は、日本人の心理をよく表していると思った。
チャンネルNECO

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