右京が原は、仙石原だった


安い日帰りツアーで、新・富士五合目というのがあったので、行くことにした。
上大岡出発で、横浜に寄って、まずは沼津のお土産屋でトイレ休憩。
大したものは全くなしで、ご苦労さん。
メインの一つの小坂共同農園のみかん刈りに行くが、墓場の上のみかん畑は敬遠させていただき、下で待つ。
その間、石碑があったので読む。
この地域は、1957年9月の狩野川台風で、田畑が壊滅し、そのために国の金で共同してみかん畑を作ったのが始まりとある。
戦後の自民党の農業政策は、言って見れば社会主義的であり、大変優れたものであった一例がここにもあった。
昼食は、いわゆるバイキングスタイルだが、ツアーの参加者に高齢者が多く、皆食い気は大してないので、「イナゴの日」状態にはならず結構だった。

午後は、富士山に向かい、わさび田の後、新五合目に登っていくが、なんと四号目あたりから雲のなかに入って、一面の霧になってしまう。
新五合目と言うのは、通常の五合目の、富士スバルラインから登るのとは逆の、須走口で富士の正面なので、天気が良ければ駿河湾を見おろせる絶好の位置にあるのだが。
まったく何も見えないのは仕方がない。
天気には勝てない。

御殿場から箱根山に上っていき、そこから富士山を振り返ると、途中から雲が横にたなびいていて完全に頂上が被われている。

そして、仙石原のすすき野に出る。
「これは『姿三四郎』だ!」
黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』の最後、月形龍之介らの檜垣兄弟と決闘する右京が原は、このススキが原はここだったのだ。
箱根には、職場旅行、各種の研修、さらに新婚時代の旅行で、何度も来たことがあるが、ここは来たことがなかった。
昭和18年、黒澤明は、ここに来て最後の決闘の名シーンを撮影した。
その日は、天気が悪く、撮影できないのではと諦めたとき、一瞬天気が変わり、撮影したので、あの激しい雲の流れのシーンも撮れたのだそうである。
帰りは、小田原に寄って買い物の後、上大岡に降りると小雨だった。
いつもの吉野町の焼き鳥屋に行ってから戻る。

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