『太陽を抱け』

井上梅次が宝塚映画で作った音楽もの映画。例によってジャズ好きの無名の若者たちが、苦労の末に売り出してゆく物語。

彼にはこの手のものが、『素晴らしき男性』『嵐を呼ぶ楽団』など、同工異曲でいくつもある。井上作品は、他にも似た筋書きのものが多いが、それはマキノ雅弘も同じで、要は座付き作者のようなものなのである。彼らは、ある基本的な筋書きを、その時の出演者に応じて書き直して作る作者であって、歌舞伎の狂言方のようなものである。

ここでは、宝田明、神戸一郎、さらに高島忠雄、朝丘雪路などが、大阪の三流レコード会社のオリオンのオーディションに受かり、ジャズのレコードを出し売れるまでの話。

いつものことだが、ジャズと言われても、ここでやられているのは、モダンジャズではなく、スイングであり、かつて非クラシックの洋楽がすべてジャズとよばれていた時代のジャズである。もちろん、それで良いが。音楽は、ジャズの多忠麿。

役者としては、若者の他にオリオンレコード文芸課長に有島一郎、社長は加東大介、専務が多々良純、さらに製作課長に有木三太とベテランを揃えている。中では有島がおもしろく、ジキルとハイド的性格で、普段は非常に大人しい人間だが、酒が入ると人格が一変し、本音を怒鳴りまくる人物。

多々良純は、会社の業績を悲観して大手電機会社に、社長に黙って売ろうとするが、有島の真実の叫びで阻止され、加東社長は、大手企業との提携に踏み切り、万事めでたしで終わり。

この映画は、特にどうということもないが、この筋書きには、戦前から西宮にあり、関西の有名レコード会社だったタイヘイのことがヒントになっているのではないかと思った。タイヘイは、戦前は大衆芸能もので当て、戦後はアメリカのマーキュリーとも契約し、日本マーキュリーレコードを作ってジャズにも進出し、成功した。だが、1950年代に不振となり、ついには倒産する。そのとき、タイヘイにいた松山恵子、藤沢恒夫らの歌手、さらにスタッフは、新しく東芝電機が設立した東芝レコードに移籍し、東芝の発展の基礎になったのである。

神戸一郎の奥さんで、環三千代が出ていた。環は、宝塚出身で、主に関西の映画、テレビで活躍した可愛いいルックスの女優である。特にどうということもないが、小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』で、主人公笠智衆の友人北竜二の若い後妻として出ているので、その名は日本映画史に残るにちがいない。彼女は、すぐに結婚して引退したが、1970年代に若くして死んだそうである。

阿佐ヶ谷ラピュタ

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