『娘と私』

獅子文六が、自分と娘のことを書いた小説の1962年の映画化だが、今もつづくNHKの朝の連続ドラマの第一号で、そのヒットで映画化されたもの。

テレビでは、主人公は北沢豹、娘は北林早苗だったが、ここでは山村聰と星由里子。

映画は、娘の結婚式から山村聰の回想で、フランス人の妻フランソワーズ・モレシャンが娘を産むところから始まる。

モレシャンは病気からフランスに帰ってしまい、後にその地で死ぬが、確か日本の気候と合わなかった性の結核だったと思う。

山村は、娘を寄宿舎に入れるが、肺炎になったことから同居させてもらっている姉の杉村春子の家に引き取る。

この映画は東京映画で、製作の椎野英之は、文学座にいた人。

多分その線で文学座の創立者岩田豊雄(獅子文六)の小説を映画化するこちになったので、杉村の他、三津田健、山崎努などの文学座の俳優が出ている。また、加藤剛、樫山文枝、さらに草間靖子など当時の新劇の若手俳優も出ている。

星由里子の少女時代の女優が誰か初めわからなかったが、小橋玲子だった。彼女は、当時よく出ていた子役で大変上手くて、山村聰の抑えた演技で、二人の娘の父親である私は、この二人の親子の演技に涙が出て仕方がなかった。

特に、山村聰のじっと抑えた演技、余計な音楽を付けず、抑制されて冷静な堀川弘通の演出が非常に良い。

戦時中に親交を結ぶ古本屋の親爺が古今亭今輔で、うまく演じているが、その店はなんと早稲田の文献堂だった。1970年代に新左翼文献の古本屋で有名だったが、この時期からあったのだ。実際の文献堂のオヤジは1990年代頃に交通事故で亡くなられたと聞いている。

筋書と主人公の小説家の姿は、実際の獅子文六に比べれば、かなり虫の良いものになっていると思うが、映画なので良いだろう。岩田豊雄の『海軍』など、戦時中の活動への自己批判も一応されている。

堀川弘通は、以前フィルム・センターで見て、来月に新文芸坐の小林桂樹特集で上映される『別れても生きる時も』や、この『娘と私』のような、少々センチメンタルな作品が良いと思う。

その意味では、彼の師匠の黒澤明ではなく、『路傍の石』や『陽のあたる坂道』の監督田坂具隆に似た資質の監督だったと思う。

新文芸坐

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