自民党に託せば安心だろうか

先週の衆議院選挙は、民主党は負けると思っていたが、それにしても意外な大敗だったが、一番がっかりしたのは、石原慎太郎と小沢一郎だろう。

石原慎太郎は、今回が首相になる最後に機会だとして、わざわざ都知事を辞めて国政選挙に出ることにした。

それは、夏に大阪維新の会支持率の急速な低下で、「是非一緒にやってくれ」と言ってきた大阪市長の橋下徹の申し入れで、

「これはいいぞ」と思ったに違いない。

「俺はまだ若者に人気があるのだ、自民党の馬鹿者には俺様の良さは分からないが、若者はむしろ俺をよく理解している」と。

総選挙で自民党が民主党に勝つにしても、過半数は取れず、そうなれば自民党から石原慎太郎らに連立協議に来て、そうなれば安倍晋三に向かい

「君は一度やっていて、俺はもう80歳だから今回は俺にやらせろ」で総理大臣になれるだろう。

だが、取らぬ狸の皮算用は、自民党が議席を取りすぎて、すべてご破産になった。

小沢一郎にとっても、自民の大勝は計算違いだっただろう。

だが、なぜ小沢一郎は、細川護煕、鳩山由紀夫、さらに嘉田由紀子と、育ちの良さを感じさせる美男美女ばかりを担ぐのだろうか。

自己の悪役面の容貌コンプレックスからなのだろうか。

だが、今回の結果はひどすぎて、もう小沢一郎の時代ではなくなったのではないだろうか。

さて、民主党の得票は、比例区で見れば、2009年が2,900万票だったのが、今回は900万票に減ったそうだ。

その2,000万票は、棄権したのが半分で、そして維新の会などの第三極や自民党に入れたのが半分だろう。

だが、自民党に入れた人に言いたい、

「21世紀の自民党は、20世紀の自民党とは全くの別物ですよ」と。

横浜市役所で三代の自民党の議長にも仕えたのでよくわかるが、かつての自民党の議員の多くは、地域で功なり遂げた人であり、名望家の出だった。

その政治姿勢は、多少の差はあっても、聖徳太子に見られるような「善政」が最終目標であり、自己利益は後回しだった。

だが、2001年の自民党総裁選挙で小泉純一郎が橋本龍太郎に勝ったことに象徴されるように、田中角栄流の「バラマキ的政策」は廃棄され、自己責任と小さな政府路線、規制緩和政策になった。

そこのスローガンは、「既得権益を壊して規制緩和すれば、経済は活性化し、最後は国民全体が潤う」だった。

だが、結果は1人の金満家を作り出した影で、100人の貧困層を作ることでしかなかった。

経済がグローバル化したため、一部の巨富は、自国内ではなく世界中に流れるようになってしまっているからである。

そうして国民全体の購買力は低下するしかなかった故の、「デフレの10年」である。

かつての自民党は言って見れば、「金持ち喧嘩せず」だったが、現在は生活保護問題に見られるように「金持ちが喧嘩を売り、弱いものいじめをする」になった。

自民党は、21世紀はかっての国民政党ではなく、ひどく右寄りのイデオロギー政党になっているのだ。

だから、来年の参議院選挙までは、安倍政権は低姿勢で行くだろうが、本来の21世紀の自民党をよく見ていかないといけないと思う。

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