総監督長谷川一夫

東京新聞夕刊に連載されている、「最後のクレージーキャッツ」犬塚弘の回想が面白い。

先日は、1961年に大映映画の長谷川一夫主演の『銭形平次・夜のえんま帳』に出た時のことが書かれていた。

撮影開始の9時の30分前に撮影所に行くと、すでに長谷川が平次の扮装で歩いていたこと。

彼らも時代劇の扮装を身に付けてスタジオに入り、長谷川が来ると、監督の渡辺邦男が

「先生、よろしくおねがいします」と丁重に挨拶してセッテイングの調整が始まった。

その時、長谷川は一つ一つのライトの位置の調整を自ら指示したそうだ。

そして、長谷川の演技のシーンが終わると、

渡辺邦男が「先生、少しお休み下さい」と言い、

すぐに椅子とタバコが出てきたとのこと。

長谷川一夫は、自分が出る作品の脚本、演出家、共演者の選定から、衣装、音楽、演出の細部に至るまで、総てを指示して決めて行った。

それは、NHKBSテレビの『昭和演劇大全集』で、東宝演劇部にいた渡辺保さんも言っておられた。

歌舞伎などの日本の伝統演劇では、演出家はいなくて、それは座長、主演役者の仕事だった。

それだけの力量のある役者でないと、一座を率いて行けなかったわけである。

今の、ただ演技だけをすれば良い、新劇というか、普通のストレート・プレーの俳優とはその本質が違うのである。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする