映画監督岡本愛彦氏の死去について

岡本愛彦氏が死んだ。新聞にはテレビ初期の名作『私は貝になりたい』を演出した。後に映画も撮ったが『津軽絶唱』や『愛の化石』等たいしたものではない。
『私は貝になりたい』(これは流行語にもなったほどの大ヒット・ドラマ、当時では異例の1時間の長時間ドラマ)も、橋本忍の脚本が良かったとも言える。この脚本は盗作だと訴えられ、認めてタイトルにはその旨(題名・遺書)加藤哲太郎となった。このあたりは、昔の方がきちんとしていたようだ。

岡本氏に関して、もう一つ話題があり、森光子と結婚したことがある。すぐ離婚しているが。彼女は、戦後の歌手時代に米軍将校と結婚しているので、二度目だった。

戦前、映画会社新興キネマの若手スターだった森にプロポーズして振られたのは、なんとあの映画監督森一生である。彼の代表作は、『薄桜記』だろうが、同じ雷蔵主演の『ある殺し屋』『ある殺し屋の鍵』のシリーズも良い。

森は、大変な監督で、多くの職人監督がやった「中抜き」(同じ画面、同じ役者のカットを纏めて撮ってしまう技術)を頻繁にやったそうだ。しかも、普通はせいぜい同じシーンでの「中抜き」なのだが、森はシーンを越えても「中抜き」をやったと言うのだからすごい。役者は、何をやられているのか、さっぱり分からなかったそうだ。ハリウッドでは想像もできない撮影法だろう。

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