小倉朗

このところ、小倉朗の曲にこっている。

小倉朗といっても、ほとんどの方はご存知ないだろうが、日本の現代音楽の作曲家の一人で、1916年に生まれ、1990年に亡くなられている。

だが、この人の曲は、50代以上の方ならよく聞いたことがあるはずなのだ。

NHKテレビの人気番組『事件記者』の音楽はこの人で、冒頭のタイトル・バックの伝書鳩が羽ばたいて行く映像に流れるタイトル曲は、小倉のものである。

『事件記者』は、今考えれば警察と新聞の記者クラブの非常にいい加減な馴れ合いに基づく話ばかりだったが、このタイトル曲はかなりカッコ良かった。

小倉の自伝『北風と太陽』は、初めの家族関係のところが複雑で、とても読みにくいが、後はとても面白い。

彼は、それほど専門的に音楽教育を受けたというものではなく、個人的に深井史郎や池内友次郎らに指導され、ほんの少しだけ音楽学校にも行く。

また、新響(現在のNHK交響楽団)にもいて打楽器等を担当して、山田耕筰にも遇会している。

彼の本の記述で興味深いのは、1941年の太平洋戦争の開始によって彼のようなマイナーな音楽家にも仕事がくるようになったということだ。

これは、前年の映画法の施行により、文化映画等の上映義務が定められたので、文化映画業界は作品が増え、作曲家にも注文が来たのである。

それは、演劇や興行業界にもあり、ようやく軌道に乗り始めた翼賛文化運動により、地方や軍需工場への巡回興行が行われるようになったからだ。

つまり、戦争は、皮肉にも国の金で文化を助成、支援する役割を担うことになる。

逆に言えば戦争は、いつもフラフラとしていて、何もせず世のお役にたっていない連中にも、世のために働くように国民を総動員するとも言えるが。

戦後、小倉は、バルトークやシェーンベルクにも興味を持ち、主にNHKでの劇判音楽で生活を支えながら、いくつかの作品を作っている。

それは、やはりこの世代に見られる、かなり苦渋に満ちた青春時代を反映させるものになっているように思う。

1973年に、新橋の田村町から渋谷の代々木の新放送センターにNHKが移転したとき、長年の功労に対して与えられた謝金は5万円だったという。

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