田端義夫、死去

歌手の田端義夫が亡くなられた、94歳。

訃報に彼の経歴が出ているが、彼はアマチュアから歌手になった、実は戦前にはきわめて珍しい方である。

意外に思われるかもしれないが、戦前の日本の歌謡曲の歌手は、藤山一郎、淡谷のり子、霧島昇らを典型に、ほとんどが音楽大学出である。

東海林太郎は、音大出ではないが、声楽をクラシックの下八川佳祐から学んでいるそうで、彼も言わばクラシック出となるだろう。

音楽大学出身者ではないのは、デック・ミネ、二村定一らジャズ系の歌手だけだろう。

戦後は、美空ひばりや北島三郎を代表に、のど自慢やコンクール、さらに町の流し等から、様々な方が歌手としてデビューし、活躍されるようになった。

大衆音楽の世界でも民主化がなされたわけである。

さて、田端義夫だが、「この人って結構大物なんだな」と思ったのは、約40年前のことである。

大学生の時、大阪と京都に遊びに行った。

大阪を北から南まで歩いたが、その中で道頓堀の中座の前を通ると「田端義夫公演」をやっていた。

当時、東京、関東で彼の公演などはあり得なかったが、大阪では立派な大スターだったのだ。

もちろん、歌手芝居の常で、芝居と歌謡ショーの2本立てで、学生なので、金がなくて見なかったが、今考えれば惜しいことをしたと思う。

上に書いたように、彼は戦前から極めて珍しい庶民出のスターであり、その意味で幅広く庶民に愛されたのだろうと思う。

トレードマークの「オッス!」というのも、まさに彼らしいスタイルだったと思う。

ご冥福をお祈りしたい。

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