その後、わかった四っつのこと

先週の9月26日に、関内で「黒澤明の一夜 クロサワって誰よ」をし、その映像も9月27日の当ブログで見られる。

だが、全体で2時間と長いのと、見られないPCもあるらしいので、『黒澤明の十字架』発行後に新たに私が発見し、当日に初めて言ったことを書いておく。

それは四っつあり、

1は、黒澤明の父、黒澤勇氏は、現在の日本体育大学の母体である社団法人日本体育会の実質ナンバー2の会計主任だった。

だが、大正3年に上野で行われた「大正博覧会」への出展の大赤字の責任を追求され警視庁の取り調べを受け、結果は私的流用の嫌疑は免れる。

だが、3年後の大正6年、彼は日本体育会の常勤職をクビになってしまう。

この時、黒澤明は、小学校3年で、上流の姉弟が通っていた高輪の森村学園をやめ、小石川の一般の小学校に転校している。

黒澤一家は、当時日本体操学校があった立会川(東大井)の職員宿舎に住んでいたが、そこは住めなくなり、小石川に引っ越した。

この小石川への引越の理由はよく分からないが、黒沢勇氏の元上司で、日本体育会の創立者の日高藤吉郎氏が、牛込に住んでおられたので彼を頼ったのではないかと思われる。

小石川の大曲で、現在も凸版印刷本社の隣あたりであるが、相当な貧困に陥ったと想像される。

そりゃそうでしょう、勇氏はこのとき、52歳だったのだから、一家が(勇夫妻と姉、兄、明の5人家族)どうやって生活していたのかは、私にも不明である。

10代の黒澤明が、プロレタリア美術運動に身を投じたのも、平穏で裕福な生活から、突然に貧困に転落してしまう社会体制の矛盾への憤りから来たと思われ、自伝『蝦蟇の油』で書いているような、一般的な時代風潮から来たものではない。

松竹大船にいてその後推理小説家になった小林久三の本『雨の日の動物園』には、映画監督堀川弘通さんから、若き日の黒澤明の苦境、生活苦をさんざ聞かされたと記述されている。

勿論、堀川氏の本『評伝・黒澤明』には、そうした若き黒澤明の苦闘は書かれていない。

言うまでもなく堀川氏の師黒澤明への敬意である。

2は、黒澤明の4歳上の兄黒澤丙午は、早熟な少年で、映画雑誌や映画館プログラムの投稿家で、後に東宝の幹部となる森岩雄氏と投稿仲間だった。

そして大正13年頃には、洋画系のサイレント映画館の説明者・活動弁士になり、須田貞明(すだていめい)の名で若手人気弁士の一人となる。

彼は、昭和初期のトーキー映画導入の際の「活弁争議」では、浅草大勝館の争議委員長になり松竹と戦うこともあった。

その風貌は、写真はいずれ載せるが、三船敏郎に大変よく似ていること。

だが、須田貞明は大変なドンファンで、妻がいたにもかかわらず、多くの女性と関係を持ち、何度も梅毒になり、子供が死産していて、その度に自殺を図ったこと。

そして、彼は昭和8年7月に、カフェの女給と伊豆で心中してしまったこと。

3は、この兄須田貞明の梅毒に感染して、自殺してしまった経緯は、1949年の黒澤明の『静かなる決闘』に大きな影響を与えていること。

つまり、もともと梅毒患者で、戦地では三船敏郎に梅毒を感染させ、戦後は町の悪者になり、最後は梅毒で発狂してしまう、植村謙二郎が演じた中田は、現実に身を滅ぼしてしまった兄・黒澤丙午のことである。

一方、手術のミスから梅毒に感染してしまい、大変苦悩するがきちんと治療し、梅毒と戦い正しく生きていこうとする、三船敏郎が演じた藤崎は、本当は、なって欲しかった兄黒澤丙午のことである。

この『静かなる決闘』には、戦時中に従軍せず、逆に戦意高揚映画『一番美しく』を作った黒澤自身の贖罪意識があるというのが私の考えだが、それに附して、この若くして自死してしまった兄への追悼、追憶の意味も隠されていたこと。

4は、これに深く関係してくるが、映画『酔いどれ天使』以後、『生きる』を除き、三船敏郎をずっと主演として起用して行くのは、兄丙午の面影への想い、追憶があったのではないか。

以上は、私が知る限り、どの黒澤明産業の本、雑誌にも、誰の批評にも出ていないことである。

先日、黒澤勇氏が、大正博覧会の責任を取らされ、黒澤家が苦境に陥った件は、ドキュメンタリー雑誌『NEO NEO』にも書いたが、上記の全体は、9月26日のトークイベントで、そして今回私が初めて書く事である。

是非、皆さまのご意見、ご批判をあおぎたい。

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コメント

  1. spiduction66 より:

    新しい事実
    改めて先日はお疲れ様でした。
    三船と黒澤丙午がオーバーラップするというのは斬新ですが唸らせるご意見だと思います。
    黒澤評伝や自伝で書かれなかった新しい事実、そこから全く別の視点で黒澤映画を楽しめると思います。
    今後も楽しみにしております。

  2. 名無しのごん子 より:

    実は私見に行かせて頂きましたよ

    なんか…「如何にもオタクなお役人さん特有の狭い頭の範囲内」でっていう感じで。
    とってもおもしろくなくてよかったですよ。

  3. わざわざありがとう
    見に来ていただき、あリがとうございます。

    さて、当初は宗澤さんは別として、黒澤明を知らない方にもよくわかると言うつもりだったのですが。
    初級編というよりも中級編くらいになっていたのでしょうか。

    私の本が、従来の「黒澤明産業本」とはどう違うかを言った方が良かったかなと反省しています。