貧乏人の役時代の吉永小百合 『青い芽の素顔』

ラピュタの日活レアもの特集、吉永小百合と川地民夫主演の『青い芽の素顔』

吉永の家は、銀座の裏あたりで居酒屋をやっていて貧困というほどでもないが父はいず、彼女は母の奈良岡朋子を助けるため、千住あたりの玩具工場で働いている。

女工仲間は、松尾嘉代や堀恭子などで、飛行機のおもちゃをベルトコンベアシステムで作っている。

この辺の工場と働く男女の感じは、後の『キューポラのある町』に似ている。

ある日、吉永は映画を見に行って、財布をなくした学生の川地民夫に金を貸したところから、二人は付き合うようになる。

だが、これは川地の詐術で、財布をなくしたと言うのは、嘘だったのだが、吉永も、「どこの大学」と聞かれ、

「目白」と答えたことから日本女子大生にされてしまう。

つまり、この映画は、嘘をついている二人が、いつどのように本当のことを言うかにある。

途中で吉永のことを玩具問屋のオヤジがいう場面があり、

「女工にしてはきれいな子だという評判ですよ」というが、当時の感覚はそのようなものなのだろう。

もちろん、最後は飲み屋の娘であることがわかるが、川地は「そんな事関係ない、好きなんだ」と二人が付き合うことが暗示されて終わり。

監督の堀池清は松竹出身なので、全体に大船的であり、また撮影が間宮義雄で、非常に美しい。

この人のカメラの名作には、蔵原監督で浅丘ルリ子主演の『憎いあンちくしょう』や『愛の渇き』などの恐ろしく硬質できれいな画面の作品がある。

だが、この作品や『キューポラのある町』で吉永が演じた貧困家庭の娘という役は、彼女の本質から見て、次第にそぐわなくなる。

そして、ついにチンピラの浜田光夫と外交官の「お嬢様」の吉永という身分違いの恋の悲劇の『泥だらけ純情』で、大成功を収めることになる。

大ヒット作というものは、そのように様々な試行錯誤の果に生まれるものであることがよくわかる1本だった。

この映画の前に見た蔵原惟繕監督の『海底から来た女』は、葉山海岸に鱶の化身の女・筑波久子が現れ、川地民夫を蠱惑するというもの。

海中撮影が売り物で、半裸姿の筑波久子の肉体を鑑賞するための映画。

原作が石原慎太郎とは驚くが、言って見れば、当時ヒットしていた松竹の泉京子主演の「海女シリーズ」の変形でもある。

                                              

「あまちゃん」の大騒ぎもやっと終わったようだが、日本映画には「海女もの」のジャンルがあり、松竹の他、新東宝も沢山作っている。

海女やお風呂屋の映画が良いところは、女の裸を理屈なく出せるところにあると山本晋也も言っていた。

川地民夫の家のバアやで、本間文子が出ているのが珍しい。

本間は東宝の女優で、黒澤明作品の常連でもあるが、監督の蔵原は、山本嘉次郎の内弟子だったこともあるので、本間をよく知っていたのだろうか。

阿佐ヶ谷ラピュタ

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コメント

  1. КРАСНАЯ СОСНА より:

    蔵原惟繕監督の名前は知っていても、「海底から来た女」という映画を見たり聞いたりした人は数える程しかいないのではないか。

    これは日活の76分ほどしかないB級作品で、タイトルだけだと安っぽいSF映画のような気がしますが、そら恐ろしい珍作・奇作・怪作そして傑作です。
    「さすらい」様はこの映画を泉京子を引き合いに出して「海女シリーズ」の変形だと述べられていますが、小生には伝統芸能(歌舞伎・講談・落語など)によく見られる「獣(けだもの)や妖怪が人間に惚れる」ジャンルものに感じました。

    映画でもこの種の作品は「白夜の妖女」「安珍と清姫」「恋や恋なすな恋」「雪女」「つる」などザクザクあり、こっちの系列ではないかと思います。

    「海底から来た女」は、サメの化身をした美女(筑波久子)が川地民夫に夢中になり、川地の住む別荘に毎日逢いに来るが、最後には漁師たちによって拿捕、殺されてしまうというキワモノ映画、しかし蔵原のツボをはずさない演出と「太陽の季節」「狂った果実」を彷彿させる湘南の情景描写などで秀逸なロマンスになっています。

    主演の筑波久子は小悪魔のような顔をしたトランジスター・グラマーで、この女優を知っている人もめっきり少なくなりました。

    ラストでは何も悪いことをしていないのに、サメ(筑波)は漁師たちに無惨にもなぶり殺しにされてしまう。
    確かにサメは漁場の魚を食い荒らしてはいるが、これはサメとて己の生存に絶対に必要な食糧確保で、サメに限らず、人間も生きるために牛や豚を殺して食べているではないか。

    人間たちがサメ(筑波久子)の川地への純粋な恋心も察せず、サメをリンチにかけ、血祭りにしてしまうシーンには、サメ(筑波久子)が可哀想で可哀想で、涙腺が緩みました。

    哀切このうえないたぐい稀な傑作だと思うのですがね。

    サメ(筑波久子)を抱いた恋人・川地に聞きたいのですが、やはり魔性の女(サメ)の肌も「サメ肌」でしたか。

    サメは魚類なので当然すっぽんぽんのはずですが、サメを演じた筑波久子さんはビキニ姿で、大切な身体部位は水着で覆ってあります。
    そこでサメに聞きたいのですが、サメにも羞恥心はあったのでしょうか。

    「海底から来た女」の原作は「鱶女」(短編)で、「石原慎太郎の文学 9」( 文芸春秋 2007)に収録されており、現在でも入手できます。

  2. ラピュタのレアもの特集で見たのですが、普通の出来だと思いました。「こんなものも作っていたのか」と言う感じでした。滝澤の『白夜の妖女』のチーフ助監督は蔵原ですから、その延長線上で出てきた企画のように思えます。

    筑波久子は、結構背の高い人だったのでは。珍しいのでは、川島雄三の傑作『花影』で、池内淳子や山岡久乃を裏切る若手ホステスで出てきますが、この辺が日本では最後だったようですね。

    白坂依志夫によれば、嵯峨三智子は鮫肌だったそうで、鮫肌の女は情欲なのだそうですが、本当でしょうかね。