デビット・ルヴォー スぺシャル・トーク

東京芸術劇場で、イギリスの演出家で、かつてTPTで、芸術監督として、また演出家としてすぐれた作品を作ってきたデビット・ルヴォーのトークの案内が来たので行く。

今、東京芸術劇場でワークショップをやっているとのことで、その追加イベントのようだ。

聞き手は、長谷部浩先生で、彼は1994年にルヴォーについての本『傷ついた性』を書いていて、これが彼の最初の書き下ろしだったそうだ。

昔、TPTの周囲を動いていた小柄で孤独な少年ではなく、少し太って見えるルボーが登場。

参加者は70人ほどだが、当然のごとく女性ばかりで、男は私を入れても、10人以下。

話の中で一番面白かったのは、女優のバネッサ・レッグドレーブを演出した時、彼女が超がつくほどの不器用で、思い込みの激しい人だということ。

私も実は、1997年に彼女の自伝を『ミュージック・マガジン』で書評したことがあった。

その時、一番感じたのは、やはり彼女の非常に不器用な生き方と、ほぼ日本人の私たちと同時代の政治への係わりだった。

      

デビットの演出法がいろいろと明かされ、彼が来日した頃の日本の「新劇」への見方など、長谷部浩の説明もよくわかったが、私の隣の若い女性は二人とも眠っていた。

新劇云々などということにはまったく関心がないのだろう。

また、長谷部から、宮本亜門が、TPTで演出した時、

「ルヴォーに比べたら自分は演出家ではなく、振付家にすぎない」と告白したことも披露された。

意外にも宮本は、自分のことを知っているではないか。無智なのは、彼を芸術監督にしている神奈川県だけだが、それは仕方のないことだろう。

去年、私の二女が神奈川芸術劇場でインターンをしていて、彼女も宮本亜門演出の『マダム・バタフライX』を見た。

 その時の感想は「結局、この劇で面白かったのは、亜門が追加した枠としての劇の部分ではなく、元のプッチーニのオペラの部分じゃないの」とことだったが、亜門が不十分な演出家であることは、大学生でもわかるのである。

最後に、野田秀樹が『曽根崎心中』を基に新作を書き、それを中村勘三郎と尾上菊之助、そしてデビット・ルヴォーの演出で上演するという企画があったことが明かされた。

もちろん、勘三郎の死で中止になったわけだが、いつかやるつもりで、今回のワークショップも、そこへのワンステップのようだ。

大いに期待したいと思う。

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