『ウルトラマンが泣いている』 円谷英明(講談社新書)

著者は、円谷英二の長男一(はじめ)の二男で、兄昌明の後を受けて2004年6月に6代目の社長となった方であるが、2005年4月に取締役会で解任されてしまう。

その原因は、彼には伯父になる円谷英二の二男で、3代目の社長として1973年から1995年まで社長として22年間君臨した円谷皐(のぼる)氏との確執があった。

この円谷昂さんは、テレビに出てきて歌を歌ったのを見たことがある。多分、何年目かのウルトラマン記念イベントの時で、堂々とウルトラマンの歌を歌っていた。

このように彼は、自己顕示欲の強いワンマンだったらしく、また大邸宅を会社の金で購入するなど、結構派手なことも好きだったようだ。

もちろん、民間企業で長期のワンマン社長が君臨すれば、そこには取り巻きやイエスマンが群がるもので、彼らの意見に会社の方針が左右されることもあるだろう。

また、円谷英二は、テレビ時代の到来を予測し、長男一をTBSに、次男皐をフジテレビに入れていた。そして、円谷一は、TBSでドラマ『煙の王様』で芸術祭賞をとるなど活躍され、1960年代末に親の円谷英二の健康が悪化すると、TBSを辞めて円谷プロに入り、急逝した父の後を継いで社長になる。

そして、この彼とTBSの結びつきのなかから『ウルトラQ』や『ウルトラマン』の大ヒットが生まれるが、激務の中で彼は41歳で死んでしまう。

一の後を継いだのは、フジテレビにいた円谷皐だが、彼はテレビ局では製作でも演出ではなく、プロデューサーだったようで、英二や一、さらに三男円谷の粲(あきら)のように実際に作品を演出した者に対し、ある種の嫉妬を抱いていたのではないかと著者は言う。

その代わり、著作権ビジネス、つまり二次使用権を重視するようになり、作品の製作を軽視し、多くのスタッフを首にし、さらに自社の独立を目指して東宝とTBSとの関係も悪化させてしまう。

実は、当初から円谷プロは、東宝の資本が入っていて、取締役も東宝出身が過半数だった。

それは皐氏には外部の監視が次第に重荷になってきたのだろう、東宝系の取締役を切り、資本も借りいれ等で自社、そして自己が過半数を握るようにしてしまう。

プロの経営は、怪獣ブームの到来と後退で上下を繰り返す。私は知らなかったが、バブル時代には、各地に円谷ランドまで作られたそうだ。

そして、経営の悪化の中で、著者は社長になり、将来を見据えて中国に進出するが、それは実を結ぶ前の社長解任。原因は、社長は退任したが、会長で株の過半数を持つ皐氏の意思だった。

だが、その後外部資本を入れたことから、企業買収のグループに取られ、現在はパチンコのメーカーの傘下となり、創業者である円谷一族は全員追放され、現在の社長大岡新一氏は、カメラマンから取締役になった唯一の生え抜きとのこと。

まことに「兄弟は他人の始まり」であり、上手くやって行くことは難しいものであることが良くわかった。

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