フィールド・レコーディングからビートに。

以前SP時代の録音の多様性について書いたが、アフリカ等のフィールド・レコーディングは20世紀初頭からあった。
デニス・ルーズベルトらによる旧ベルギー領コンゴ等のレコーディングは、すでに1930年代に発売され、70年代以降日本でも人気となったブルンディー・ドラムは、ジャズのジーン・クルーパにも影響したのだ。
他にも、フランスのオコラは中近東の音楽のレコードを多数残している。
明治時代に日本に来たフレッド・ガイズバークの「出張録音」も、日本という極東の未開の国の音楽のフィールド・レコーディングだったとも言えるだろう。
こうしたフィールド・レコーディングは、言わば文化人類学的発想であり、ノンフィクション的発想でもある。
こうした流れの上に、ジャン・ルーシュらのアフリカ等での記録映画もあったのだと思われる。
フォーク・ソングで有名なフォークウェーズ・レコードの創設者サムエル・チャーターズの妻アン・チャーターズが、1950年代のビートの中心人物であったことも考え合わせると、ビートがもう一つの文化、非西欧近代社会的な文化への興味だったことの証左である。

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