『愛する』

遠藤周作原作の『私が捨てた女』の二度目の映画化で、1997年日活がナムコの中村雅哉社長の下にあった時の作品である。

この頃は、ナムコも景気が良かったらしく、「横浜のみなとみらい地区に新スタジオを作る」という計画が来ています、と都市計画局の知り合いから聞いた。

予想通り、それは現在もできていない。スタジオなどというものは、特に遠隔地でない限りどこでも良いのだから当然である。

さて、この2回目の映画化の方が、原作に近いようだが、作品としては1969年の浦山桐郎監督作品の方が優れているように見える。

新生日活作品とのことで、宍戸錠、松原智恵子、岡田真澄らが出ている他、スタッフもほとんどが旧日活の人たち。

その理由の前に、熊井啓脚本・監督作品の筋を簡単に書く。   

話は、現代のことで、地方から出てきた女森田ミツの酒井美紀は、偶然のことから調子の良い男吉岡の渡部篤郎と知合い、セックスするまでの仲になる。

だが、酒井の腕に赤い斑点が出ているのを見て、医者に行くことを勧め、医者の岡田真澄は、信州の療養所で詳しく調べてみろと言う。

そして、酒井が一人で信州の療養所に来るところまでが回想で描かれて約1時間。

もっとテンポよく描けば30分くらいで終わると思うが、非常に荘重に描写されている。

療養所の同室者は、元ピアニストの岸田今日子で、彼女の口から5歳で発病して「らい専用車」の貨物列車で、療養所に収容されてきた小林桂樹らのことが語られる。

この岸田や小林の演技はさすがだと思うが、他の入所者も、鴨川てんしなどの渋い俳優でよく演じられている。

ところが、ここで驚くべき展開になる。

3回の精密検査の結果、医師の上条恒彦は、「森田ミツはハンセン病ではなく、全くの誤診だった」ことが告げられる。

この辺から描写が異常に浮いてくる。

病気でないとわかったミツの喜びで、東京に向かう駅に森田ミツは行く。

だが、彼女はその新宿行きの列車に乗らず、療養所に戻ってきてしまう。

ここで働きたいと言い、その通りになる。東京の吉岡に岸田今日子から長い手紙が来るが、そこにはミツが交通事故で死んだことが書かれている。

森田ミツの墓の前で立ち尽くす吉岡の渡部篤郎。

 まあご苦労様と言うか、おかわいそうにという感想しか出てこない。

1969年の浦山監督作品は、原作を強引に書き換え、1960年安保の挫折の中で小林トシエの森田ミツと知り合い捨てた、河原崎長一郎の吉岡が、会社の上司の妹の浅丘ルリ子と結婚し、言わば階級的問題に悩むものにしていた。

そして最後には、小林と浅丘が共に働くという浦山の幻想で彼の社会主義への想いで結んでいた。

もちろん、これは浦山らの勝手な思い込みだが、これの方が優れているのは何故だろうか。

それは、熊井啓のほぼ原作通りの映画化には、特に込めた想いが感じられないからである。

一番の問題は、森田ミツの酒井美紀が可愛すぎるからで、浦山作品では、お世辞にも可愛いとは言えなかった小林トシ江だった。

映画というものは、なかなか難しいものである。

音楽が抒情的だなと思うと松村禎三だった。

川崎市民ミュージアム

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