『恋にめざる頃』

1969年に東宝で作られた酒井和歌子主演の映画だが、青春映画ではなく、かなり真面目な作品、それもそのはず戦前の成瀬巳喜男の名作『妻よ薔薇のやうに』のリメイクなのである。

                   

原作は、中野実の新派劇で、成瀬作品では、主演は千葉早智子、父親は丸山定夫、妻は伊藤智子で、丸山が家を出て同棲している愛人は英百合子だった。

ここでは、酒井和歌子の母は草笛光子で、新宿に店を持つデザイナーになっている。

成瀬作品では、伊藤智子は、女流歌人で、丸山は山師になっていたと思うが、ここで父親の土屋嘉男は、一応鉱山会社の技師になっている。

タングステン鉱山を探しているとのことで、福島の会津の奥にいて、美容院をやっている女・市原悦子との間に二人の子がいる。

なぜ、母親の草笛光子がいながら、市原との関係を持っているのか、と福島までやってきた酒井和歌子の聞かれた時、土屋はこう答える。

「お母さんは、私には偉すぎるのだ」

才色兼備の草笛と庶民的な市原のキャステイングは上手く、土屋の行動を肯定できるものになっている。

酒井和歌子の親友の結婚式に、両親として土屋は草笛と出席するが、披露宴が終わると土屋は、福島に戻って行く。

土屋の叔母の文野朋子は、「なんということだ、到底信じられない。足にかじりついてもこういう時は、行くのを止めるものよ」という。

だが、草笛も酒井も土屋を引き止めず、いずれは離婚することを暗示して終わる。

成瀬作品では、そこまで描かれていなかったようだが、離婚への意識の違いは、時代の差だろう。

成瀬作品では、この台詞は、藤原釜足が言った台詞で、ここでは文野が言うが、文野とその夫小栗一也との脇役ぶりはさすがだった。

この映画の題名の『恋にめざるる頃』というのは、羊頭狗肉であり、『大人の愛にめざめる頃』とでも言うべきものだろう。

日本映画専門チャンネル

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