『サン・アントニオ』

衛星劇場の洋画で大林宣彦の「いつか見た映画」、1945年に作られた能天気西部劇。

主演はエロール・フリンで、19世紀の末、テキサスでは牛泥棒が横行し、メキシコに牛の大群を追い込み、そこで持ち主に無断で売買してしまう連中がいた。

メキシコとの国境のサンアントニオにエロール・フリンがやってきて牧場主のために、牛泥棒連中を暴こうとして活躍する。

その町に、美人歌手のアレクシス・スミスが巡業にやって来て、町のサルーンで公演する。

そこでは、悪漢らとの戦いがあるが、ほとんどパロディのようなアクションで笑える。

また、アラモの砦も出てくるが、19世紀末はそうだったかもしれないが、現在でみればこれは嘘である。

私がパシフィコ横浜にいたとき、当時の高秀市長が、横浜にサミット・先進国首脳会議を呼ぼうとした。

会場はもちろん、パシフィコ横浜なので、パシフィコがサミット開催に耐えられるかを調査せよ、とのことだった。

みなとみらい会社の担当理事だった若竹馨さん、開発銀行からパシフィコの常務になっていた長田さんと3人でカナダ、アメリカに行ったのである。

2人とも大変偉い方なので、私は添乗員のようなものだった。

トロント・サミットが終了した直後だったので、1989年の秋である。

ニューヨーク、トロント、さらにシカゴのコンベンション施設を視察した後、若竹さんのリクエストでテキサスのサンアントニオに行ったのである。

ここは、リバー・フロント開発として有名で、上流にダムができて河川を自由に使えるようになったので、川の両岸にレストラン、カフェ、ホテル等を配置し、観光事業を盛んにしていた。

テキサス州は、非常に温暖なので、アメリカでもほどく寒いシカゴなどの北部からの観光客が多く来ているのである。

この時、アラモの砦を見に行ったのだが、唖然とするほど小さなもので、日本で言えば、浅草の雷門程度の大きさで、

「これがアラモの砦なの」というものだった。

映画は最後は、歌手のアレクシスとエロール・フリンが結ばれることを示唆して終わる。

なんとも楽しい、お気楽映画だが、決してデキは悪くなくて、見ていて実に楽しい。

楽天的そのものエロール・フリンは、二枚目の典型で、ルックスは日本で言えば、岡田真澄に似て、女にも喧嘩にも強いヒーローそのものである。

                            

しかし、エロール・フリンは、貧困の中で大変苦労して映画スターになった人だが、実は少女と性行為を重ねてスキャンダルになるなど問題児だった。

I  am like Frin という台詞があったくらいだったのだ。

だが、映像の表面からはそうしたものが見えないのはさすがというべきだろう。

衛星劇場

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