黄金町の凋落

近年、横浜では黄金町の凋落が著しいと思う。
黄金町と言えば、言うまでもなく黒澤明の『天国と地獄』の舞台になった横浜の麻薬地帯であり、所謂「チョンの間」の売春街で有名だった。
京浜急行では急行の停車駅だった。
実際に、1970年代まで、横浜の港湾エリアに行くには、当時は新港埠頭と山下埠頭が中心だったので、ここか桜木町から行くのが普通だったので、港湾関係や木材関係の企業も多かった。
さらに隣接した南区の日本橋には料亭がいくつもあり、港湾関係企業が使用していた。
しかし、横浜港の中心が本牧と大黒に移り、また所謂オーナー企業も、企業会計の「グローバル化」により、たとえオーナー社長でも自由に金を使えなくなり、社用族は急激に減った。吉野町の近くにあった日本橋の料亭は一つもなくなり、みなマンションになった。
また、松下政経塾出身の松沢知事、中田市長の二人によって「黄金町浄化作戦」が行われ、夜の女性とお客も非常に少なくなった。
彼女たちアジアの外国人女性は、日本からいなくなったのではなく、北関東に移って働いているとのこと、ただのモグラ叩きに過ぎなかったわけだ。

そこで、労働者も社用族も黄金町周辺では金を落とさないようになり、駅の乗降客も減ったのだろう。
今では、新逗子から羽田に行くエアーポート急行の停車駅は、弘明寺、井土ヶ谷になり、黄金町駅は通過駅になってしまった。
現在では、先週のような桜の時期のみが黄金町周辺が賑わう時になったようだ

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