『アルトー24時++再び』

東京芸術劇場のホールに入ると、まずロビーでは、裸で白塗りの男女が床をはい、ピアノが1960年代の前衛風のアドリブ演奏をやっている。
この程度のできかと思うと、最後までその通りだった。
第一に、一応劇が終わった後に対談があり、アントナン・アルトーの翻訳がある土田知則と鈴木創士の対談があったが、もともとこの対談抜きで劇が成立していないのだから、ひどいというしかないだろう。

脚本・演出の芥正彦は、東大の劇団駒場にいて、全共闘時代には学内で活動され、1967年に行われた作家三島由紀夫との討論でも登場して活躍した人物である。
私は、彼が作った、一時は彼の恋人だった女優中島葵の写真集を見たことがある。
中島葵は、森雅之の愛人の子供で、黒テントや日活ロマンポルノで活躍した。
だが、彼女は子宮径ガンで若くして亡くなられたが、その彼女がガンのために骸骨のようになった姿も掲載されているものだった。
それは愛情の深さだろうか、ともかく売れれば良いという商売人根性からなのだろうか。

今回は、3年前にやったものの再演だそうで、糸操り人形劇の結城一糸との共同の公演である。
最初に裸の男女がドイツ語でガス室と書かれた扉から廊下に消えてゆく。
明らかにナチスのユダヤ人虐殺のガス室を意味していて、いろいろあるが、後半はほとんどアルトー役の芥の演説大会になる。
だが、この演説が凄いのは、東大除籍とは思えないほどの下品さで、「くそ!」などは序の口で、オマンコ等々の言語が羅列されるのである。
別に下品でも良いが、そこに意味やメッセージがあればである。
そんなものはほとんどなく、ただ既成の秩序や体制を崩そうとしているだけなのだ。
だから、全体とすれば、1960年代のアングラ劇であり、そこには一種ノスタルジックな懐かしささえあった。
だが問題は、芥がそこから少しも学んでいないことである。
それは、既成の秩序や体制など、いくら攻撃し、崩そうとしても、そこからは何も生まれないということだったはずだ。
最後に残ったのは、アルトー、デリダ、ラカン等々の有名学者のお名前をチラつかして観客を欺いている商売人根性だけであった。
私も、2010年代にも、このようにひどい劇があったという記念に台本を買っておいたが、いずれ大変貴重な記録となるだろう。
東京芸術劇場

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする