『白い夜の宴』

この劇の作者木下順二の戯曲は、決してつまらないものではない。

多くの人が見たこともあるだろう『夕鶴』は、矢代精一の『絵姿女房』と『弥々』に、『風浪』は福田善之の『長い墓標の列』に大きな影響を与えている。
さらに福田善之の諸作は、井上ひさしから唐十郎に至るまで影響しているのだから、現在の日本の現代劇の祖は、木下順二と言ってもよいかもしれない。
だが、この日に約50年ぶりに上演された劇を見ると、正直に言って、6月23日の記事で紹介したが、鈴木忠志の「演劇は演劇によってのみ感動させるべき」に賛成したくなる。
なぜなら、この民芸の公演のどこにも面白い役者が一人もいなかったからである。

歴史的に言えば、昭和初期から日本の新劇は、簡単に言って左翼的立場から体制を批判することが根底にあった。
勿論、天皇制国家の下で、基本的人権も言論の自由もなかった時代、先進的な人たちを観客とする演劇が、そのような位置にあったのは当然のことだろう。
だから、久保栄や三好十郎らの劇作家、滝澤修、宇野重吉から東野英治郎、千田是也、さらには沢村貞子らの役者も、逮捕・投獄されている。
だから、戦後、新劇が過去の輝かしい歴史の下に、全国民から迎えられて先進的文化として興隆したのである。
だが、その先駆性は、1960年の安保闘争の中で、日本共産党の「前衛神話の崩壊」と所謂新左翼と言われる党派の存在の中で消滅した。
そして、新劇からも直接的な左翼性は消えた。
素材やテーマ、描き方の方向性が正しければ、それで良いというわけにはいかなくなったのである。
むしろ、鈴木忠志は、そうした状況の中で、彼の演劇理論を作り出したともいえる。なぜなら、彼が所属した早稲田大学の劇団自由舞台には、1960年頃までは、日本共産党の細胞があり、党員による「指導」が行われていたそうだからである。


この劇は、祖父、父、息子の三世代が父の誕生日に集まって自分たちの過去を回想し、議論するというスタイルになっている。
祖父(内藤安彦)は、敗戦時には和平工作に従事したというが、昭和初期には治安維持法違反者を弾圧した官僚、父(西川明)は、反発して左翼運動に参加し投獄される。
警察署で、朝鮮人から手紙の投函を依頼されるが、刑事に見つかって取り上げられ、自己の罪として贖罪意識にとらわれている。彼は、その後父の助力で航空機会社に入り、戦後は自動車会社重役になっている。
その息子(斎藤尊史)は、60年安保反対運動の渦中大学にいたが、卒業後は父の会社に入れてもらい、韓国への企業進出の担当課長になっている。
そして、
それぞれに女性(箕浦康子、中地美佐子、桜井明美)が配置され、・・・と筋を書いていても、その図式性にあまりにも虚しくなってくるが、劇はもっと空虚だった。

私の席の左右にいた人の反応が興味深かった。
左は、普通の高齢夫婦で、右は朝鮮語を20年前に勉強したというインテリらしい女性二人だった。
高齢夫婦は、「全く分からなかった」と言い、右の女性たちは、何も言わなかったが、この劇に十分満足しているように見えた。

この反応は、どちらも同じことなのだ。
つまり、演劇をある主題、題材の絵解きとして捉えており、一方は意味が分からないと言い、他方は満足した。
これは鈴木忠志的に言えば、ただの「非演劇的」な感想になるのだと思う。

もし、この劇を面白くするとすれば、尊大な祖父内藤安彦が、実は婆やの別府康子と内縁関係にあったことである。
家城巳代治監督の映画『異母兄弟』で、因業な軍人で当主三国連太郎が、女中の田中絹代を内妻としていたような描き方だったと思うのだが。
紀伊国屋サザンシアター

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