『抜け目のない未亡人』

三谷幸喜は苦手で、昔から私には合わないと思っていたが、このイタリアの劇作家ゴルドーニ原作の劇でも同じだった。
設定は、ベニス映画祭が行われている会場近くのホテルで、元大女優で、大富豪の妻になり映画界を引退していた大竹しのぶが、夫の死を機会に映画に復帰する。
それに対して、フランス人(岡本健一)、イギリス人(中川晃教)、スペイン人(高橋克実)、そしてイタリア人(段田安則)の監督が企画を提案し、どこにだれと一緒にやるかという筋書きである。
他にも、小野武彦、浅野和之、八嶋智人らの出演で、豪華と言えば、豪華だが、空疎と言えば空虚な配役の劇である。
なぜなら、この劇のどこにも、あるいはどの役にも、三谷幸喜の意思が感じられないからである。
簡単に言えば、どこにも毒がないのである。
三谷が好きなはずの、ビリー・ワイルダーからニール・サイモン、あるいは日本の菊田一夫から川島雄三らには、その喜劇の裏に強い毒や屈折があるものだが、ここには少しも感じられなかった。

大竹しのぶの「ワンマン・ショー」なので、そう硬いことは言うな、と言われればそれまでだが。
だが、彼女の一人舞台にしては、大竹の演技は荒れていて、相当に野放図なのが少々気になった。
やはり、彼女に対抗する強い役が劇の中に存在しないからだろうと私は思う。
その役は、本来はマネージャー役の峰村リエだと思うが、彼女もそう屈折した役柄ではないので、大竹は一人で暴走する。
さらに、その暴走を助けるのは、観客であり、全体に笑いすぎである。
面白いからいいだろうではすまされない。
かつて、読売ジャイアンツ・巨人軍の堕落を作り出したのが、原辰徳、定岡正二らに奇声を上げた、ギャル・プロ野球ファンであるように、こうした無意味な笑い声は、いずれ作者たちを堕落させるに違いないと思うからだ。
作者たちが、芝居の水準をこの程度で十分なのだと思い始めるからである。
唯一評価できるのは、マイクの使用を歌を唄う時だけにしていることで、本当は当然のことなのだが。
新国立劇場

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