山口淑子、死去

女優で歌手、戦後は参議院議員も務めた山口淑子が亡くなられた、94歳。
彼女は、純粋な日本人でもあるにもかかわらず、「日満友好」の象徴として、満映で、中国人女優李香蘭としてスターになり、映画『支那の夜』は日本でも大ヒットした。
この時、彼女が来日し、日劇で行ったショー『歌う李香蘭』は日劇を7重の群集が取り巻いたことで有名である。
だが、共演の長谷川一夫は、
「あれは李香蘭見たさではなく、私を見にきたくて日劇に来たのだ」と伝記では言っている。
大スターというものは、そのくらいの自惚れがないとできないものなのである。

戦後の映画では、東宝での『暁の脱走』が代表作だろう。
この映画は、名作の誉れが高く、結構名画座で上映されていた。

だが、私はこの映画を最初見た時、この山口淑子と上等兵の池部良との恋愛悲劇は、非常に変な感じがした。
それもそのはず、田村泰次郎の原作では山口淑子は、朝鮮人の慰安婦なのだ。
当時はまだ米占領軍の検閲があり、「慰安婦を描くのははよくない」とのことで、山口の設定を日本人の慰問歌手に変えてしまったのだ。
だから、どことなく辻褄の合わない関係になっている。
これを原作通りに朝鮮人の慰安婦にしたのが、鈴木清順監督の『春婦伝』で、野川由美子が体当たり演技で演じた。

また、この2本には、日本人の男(『春婦伝』では川地民夫)の自殺にも違いがあり、鈴木作品の方が原作通りなのである。
『春婦伝』で、そして田村泰次郎の原作では、主人公の上等兵は手榴弾であっさりと死んでしまう。
だが、『暁の脱走』ではそうではない。
状況に絶望した池部は手榴弾で自殺しようとするが、弾は不発に終わり、山口と手に手を取って城門の外にねげ出すことになる。
それを城門の上から見つけた悪党の小沢栄太郎の機関銃によって二人は殺されるのである。
これは、そしてこの脚本を書いた黒澤明は、何を込めたのだろうか。
言うまでもなく、自分の戦争への贖罪意識である。
戦時中、『一番美しく』のような戦意高揚映画を作ったにも関わらず、自分は徴兵も、徴用もされず、戦争に参加しなかった自己への処罰であると見るのが普通だと私は思う。
まさしく、昭和史を体現した女優のご冥福をお祈りする。
いよいよ女優で最高齢は、同じく94歳の原節子になったわけだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする