琉球フェステイバル2014

日比谷野音で行われた「琉球フェステイバル2014」に行く。
ここの来るのも久しぶりで、定刻通りに始まっているのと、席がすべて指定席なのに驚く。
最近の音楽イベントはみなそうなっているか。


すでに最初の女性デュオの「やらわらば」はもう終わりの方だった。
司会は、ガレッジ・セールだが、彼らが那覇出身とは知らなかったが、こういう漫才による司会は沖縄ではよくあるようだが非常に良い。
伝統音楽の「よなは徹」の後は、ロックスター風の白い背広の「下地勇」という風に、進行も工夫されていた。
会場で配られたリーフレットに藤田正さんが解説を書かれている。
3年前の中村とうようさんの死の際の言動で、全国の中村とうようファンの憤激をかった藤田さんだが、彼は私が『ミュージック・マガジン』に書くようになった時の最初の担当者なのだ。
このM&Iでは、カリビアン・カーニバルの企画もやっていたはずだが、このフェステイバルの企画も非常に良いと思う。

大島保克の後の大工哲弘は、1970年代にここで行われた琉球フェステイバルについて話し、「あの時に出た名人たちはもう誰もいなくて、1970に出たのは私ひとり」だと。
この頃の同フェステイバルは、竹中労の企画で、非常に素晴らしいっものだったが、彼にはどこか胡散くさいものを感じていて、私は見たことはない。
竹中労は、実は死ぬまで日本共産党の秘密党員だったそうだというから驚く。
中村とうようさんによれば、当時とうようさんたちがやっていた革新自由連合の情報は、すべて竹中を通じて日本共産党にすぐに流れていたそうだ。

さて、パーシャクラブになると、雰囲気がロック・コンサート会場になる。
彼らってそんなに人気だったの。
最後に「ジンジン」をやったのは、さすがに長幼の国の沖縄である。

ラストのグループは、元のネーネーズに新たに島袋恵美子が加入した「うないぐみ」のコーラス。バックは佐原一哉である。
久しぶりに心から楽しめたコンサートだった。

夜の空には、国民の税金を投入させて、いまだに生き延びている新生銀行の醜悪な建物が見えた。
 

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