『盛り場流れ唄 新宿の女』

1970年5月、藤圭子のヒット曲に合わせて作られた歌謡映画だが、新宿のクラブを舞台にしているので、小林旭主演で作られていた『女の警察』的でもある。
下町の人形店の親父が自動車事故で人を殺してしまい、娘の北林早苗は、中学の同級生山本陽子が勤めている新宿のクラブのホステスになる。

                      

そこでいろいろあり、例によって店の上客の内田稔からは可愛がられて、旅行にまで行く。そこは修善寺の浅葉旅館で、庭にある舞台で能が本格的に演じられる有名なところで、実際に能も見せるのだから、それなりに金を掛けている。
勿論、内田は下心があり、連れ込み宿で北林に迫るが、彼女は敢然として撥ね付ける。
その頃、青年実業家の木村功が現れ、その能力、優しさ等に惹かれるが、若いバーテンの藤竜也とも相愛の仲になる。
一方、山本は不幸な女で、同棲していた過激派の男とトラブルを起こしていたのがやっと手が切れ、店を替え、そこのバーテン山本勝を好きになり、大金を借りて二人で店を出すが、そいつは結婚詐欺の常習犯で騙されたと分かり自殺してしまう。
交通事故の示談金に困った北林は、木村の申し出の「二号になる」ことを承諾して、店は道路新設の用地として収用され、一家は下町を出てゆく。
そうした不幸にも関わらず、新宿の女は生きていくというところでエンド。
別に大した作品でもなく、北林や山本も、所詮は二線級という感じだが、結構上手くまとめていると思う。

監督の武田一成は、映画『関東も広うござんす』で、撮影途中で死んだ野口博志監督に代わりチーフ助監督から「運良く」監督になった人で、アクション映画はもちろん、結構色んな傾向の映画を作っている。
ロマンポルノになっても日活に残り、宮下順子の『女の四畳半シリーズ』は、大ヒットになった他、『女の海峡』というのは、原作が田中小実昌で、傑作だった。
その意味では、過小評価されている監督だと思う。
もちろん、藤圭子も出ているが、クラブでギターを抱えて歌うだけで、演技はほとんどなし。
当時から思っていたが、藤圭子の歌唱は、きわめて演歌的ではないと思う。
むしろ、ジャズ的、あるいは青春歌謡的な清々しさがあり、その突き放したような唱法で、「どん底の演歌的情景」を歌ったので、そのアンバランスさが受けたのである。
彼女の歌について、某大作家が言っていた「恨歌」というのは、まったく当たっていないと私は当時から思っていたが、この日見てあらためてそう思った。
北林の妹でスケバン娘の大信田礼子と一緒になる、スケコマシの小松政夫が大いに笑わせてくれる。
この作品から、日活と大映は、ダイニチ映配で公開することになる歴史的作品だった。
神保町シアター

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