田村光男、死去

さっき、ヨコハマ経済新聞の杉浦裕樹さんからのメールで田村光男が11月22日に亡くなったとの報せがあった。67歳。
本日、青山の寺で通夜が行われたそうだが、もう今夜の通夜は過ぎているので、明日の告別式に行くことにする。

               

彼とは、早稲田の劇団劇団演劇研究会で一緒だった。
本来は同い年だが、彼は日比谷高校を卒業後、劇団四季の演出部に1年いて、大学には1年遅れで入って来たので、劇団では1学年下になった。
彼は、劇団に2年はいたが、すぐにやめたので、ずっと音信不通だった。

だが、彼は1960年代から、世界中の前衛芸術の日本への招聘、日本の優れた芸術、文化の海外への紹介で、ずっと我が国の第一人者だった。
山田洋次の映画『たそがれ清兵衛』で一躍有名になった田中泯を欧州に紹介したのは田村光男であり、そのコネクションで、後にチェコの初代大統領になるハベルとも親しい仲だった。
私も、山梨の白州での田中泯さんのイベントに行ったこともあり、浅草常盤座のラスト公演の後、田中泯さんらと浅草で飲んだこともあった。
その他、彼の力で海外公演ができた日本のアーチストは数え切れないほどいるはずだ。

私とは、大学卒業後音信不通と言うよりも、彼は学生劇団の素人くささに呆れて、2年生の時に学生劇団を見限っていたので、それ以来知らなかったのだが。
今から約30年前、私は横浜市からパシフィコ横浜に出向し、オープニングイベントの企画担当の係長になった。
その時、イベント業界で大活躍している田村光男の名を聞いて、30年ぶりに再会し、オープニングイベントの「ウォーマッド横浜」をやったのが最大の事業である。
その後も彼とは色々とやったが、昨年に私が『黒澤明の十字架』を出すにあたり出版社を紹介してくれたのも田村だった。
ただただ驚きと残念というしかない。
ともかく冥福を祈るのみ。

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