『遊女夕霧』『舵』


みつわ会の公演の券を品川でもらったので、六行会ホールに行く。
演目は、まず川口松太郎作の『遊女夕霧』
大正10年の年の暮で、講釈師から講談本作家になった悟道軒円玉の中野誠也が主人公で、菅野菜保之の講釈師如嚥から口述筆記で、講談本の読物を書いている。
そこに、吉原の遊女夕霧が来る。
彼女は、ある店の手代世之介の相方で、彼が円玉はじめ、17軒からだまし取った前金詐欺を、借用に変えてくれと頼みに来たのである。
この筋書きの映画を昔見たことがあるが、それはこれが元ネタだったのだろう。
もっとも、川口の多くの作品は、欧米の映画の書き換えなのだそうで、これは何が原作なのだろうかと思う。
当初は、渋っていた円玉だが、最後は夕霧の可憐さにほだされて、借用書に判を付くことになる。
だが、その後に夕霧は言う。この借用書が全部取れたら、自分は世之介から身を引くという。
川口松太郎得意の江戸っ子の人情である。
この芝居は、昔文学座で見たことがあり、大地喜和子と加藤武だった。
中野誠也は悪くない役者だが、その口舌が江戸っ子かといえば、果たしてどうだろうかと思う。

次は、久保田万太郎の『舵』で、1955年に書かれたラジオドラマで、浅草の袋物屋の家に、証券会社社長夫人おしまの市川春猿が来るところから始まる。
三社祭りの夜で、市川は、さんざ自分勝手な事を言って、弟清治をいつものように腐らせる。
さらに、昼から酔った長男の良吉の冷泉公裕が戻って来る。
昔の恋人の弟と偶然会って飲んだのだというが、泥酔していて、これも、おしまに馬鹿にされる。
良吉の醜態に市川は怒って去るが、残された清治と良吉は、一体なにをしに市川が来たのかよく分からないないままに、三社祭りの夜は暮れて行く。
どこが面白いのかと言われれば、表現することは非常に難しいが、それなりの面白いのである。
ただ、さすがに私も一時睡魔に襲われた。

要は、下層の庶民のある種の鬱屈感を表現しているのだが、日本演劇界で、大ボスとして君臨した久保田の本当の姿かと思うと、それはまったく違うと思う。
終わった後は、北品川商店街を歩いて、いつものほ志乃で軽く飲んで戻る。
六行会ホール

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