『早春』

1956年、『東京物語』に続いて小津安二郎が監督した作品である。
『東京物語』の1953年から、3年空いているのは、小津が田中絹代の初監督作品『月は上がりぬ』の脚本を自ら書き、さらにその実現に追われていたからである。
映画『早春』は、『東京物語』の成功を踏まえて、さらに日本の現実を描こうとした意欲作で、結果は成功している。
新たな試み、従来の松竹の小津組の役者たちのみではなく、岸恵子、東宝から池部良、中北千枝子、さらに加東大介らも迎えている。
話は、蒲田に住む池部、高橋貞二、須賀不二男らの同じ会社に勤務する若いサラリーマンたちのことで、そこにタイピストの岸恵子が加わり、池部を誘惑する。
彼らは、ある週末に江の島にハイキングに行くが、道路を歩くのみで、この年の春以降に大騒ぎになる日活の太陽族のように海岸で遊んだりしない。
蒲田以来、松竹映画は庶民の味方であり、ヨットやボートのような金持ちの遊びとはずっと無縁で、画面に出てくるのは、篠田正浩監督の『涙を、獅子の鬣に』あたりが最初だが、新山下のヨットハーバーに集うのは、横浜の不良外人やヤクザたちで、否定的な対象である。
岸恵子は、池部とお好み焼き屋で飲んだ後、大森海岸の旅館で泊る。
お好み焼き屋と言うのも、小津の風俗感覚の鋭さを現していて、関西では盛んだったお好み焼き屋は、この頃東京に入り普及したのである。
大森海岸には、戦前から旅館があり、三業地もあって、恐らく若き小津も蒲田撮影所の頃は通ったものに違いない。
朝起きた二人は、海岸はすでに東京湾の埋立工事で、汚れている水やゴミを見る。
池部の妻淡島千影との間には、子供がいたが疫痢で死に、それ以来倦怠状態である。
淡島の母浦辺粂子は、五反田でおでん屋をやっていて、そこに池部が飲みに来て二人は結ばれたのである。
この作品の構図は、『東京物語』が、笠智衆・東山千恵子夫婦の戦前派と、息子の山村聡以下の戦中派との話だったのに対して、ここでは戦中派の池部以下の若い連中が中心になっている。
言わば、『東京物語』での異物というべき熱海の旅館で騒いで笠夫婦を寝かせない団体旅行の連中だとも言える。
だが、須賀不二男は少々年が行っているようだが、池部らは一応戦中派の若いサラリーマンと言うことになっている。
最後、池部は会社の工場がある兵庫の奥地に転勤になり、少しの間別居していた淡島もそこに来て、二人はやり直すことを約してエンド。

あえて言えば、この作品は、戦中派と戦後派との間を描こうとしたものだとも考えられる。
だが、良く考えれば、本当に戦後派なのは、岸恵子と同僚の山本和子らの女性、さらに浦辺の息子で大学生の田浦正巳くらいしかいないだろう。
その意味で、この作品はやや中途半端なところがあり、それが逆に厳しい現実にまで行かず、微妙な位置で上手く世界が保たれて成功したているとも言えるだろう。
この作品をさらに進めて、有馬稲子ら戦後派の実態を描こうとしたのが、次の『東京暮色』であるが、これは非常に興味深い作品で、私は大好きなのだが、世評は低く、以後小津は戦後の現実を対象にすることはなくなるのである。

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